メアリー・アンは第5子のロバート出産後、大きく体調を崩す。分娩後の合併症によって入退院を繰り返すようになり、家を空ける時間が長くなった。ただでさえ愛情に乏しかった母さえもいなくなり、トランプ家の子供たちにとって、頼れる大人は父のフレッドだけ。しかし、その唯一の頼りであるはずの父親は子供に無関心か、もしくは恐ろしい怒りを向けてくる。幼いドナルドは、やがて複雑な感情を抱くようになった。
《ドナルドは耐えがたいジレンマに陥る。父親に完全に依存していながら、一方ではその父親が恐怖の根源でもあるという状況である》(『世界で最も危険な男』より・以下《》内同)
メアリーはそうした状況を「児童虐待」だと分析。彼女は児童虐待を、「『過剰』と『不足』の経験」と定義する。
「ドナルドは、母親との絆が最重要な時期にそれを失うという『不足』に見舞われ、トラウマを負いました。少なくとも1年間は母親に捨てられたも同然だったのに、父親は彼に安心と愛情を与えることもなかった。その欠乏が、ドナルドに一生消えない傷を負わせたんです」(メアリー・以下同)
ドナルドが経験した、親からの愛情の欠乏という「不足」。では、「過剰」の経験はどんなものだったのか。そこには、兄の存在が大きくかかわってくるという。
兄を反面教師に歪んだ価値観を育む
ドナルドの7才上の兄・フレディ(メアリーの父)は、トランプ家の長男であり、父にとっては大切な跡取り息子だった。ドナルドたち子供に無関心だったフレッドも、自分の後継者としてフレディには多大な期待を寄せていた。
当初、フレディにとってその期待は、父親の思いやりのない言動から自分を守る“鎧”だった。期待通りに過ごしている限りは、心ない叱責を受けることもない。しかし、その“鎧”は次第に大きな重荷へと変わっていった。
「フレディは成長するにつれ、父に背負わされる責任と、自分の好きなように生きたいという欲求との間で板挟みになりました。10代になる頃には、父が自分に何を期待しているかを理解し、その上で、自分がその期待に応えられそうにないと気づき始めたんです」