潜る
投票日翌日の七月一九日朝、小沢は「知恵袋」の参院議員・平野貞夫に電話を入れた。
「比較第一党が自民党になったからといって、弱気の発言をしないように野党幹部と連合の山岸章・会長に伝えておいてほしい。僕は潜る」
私が新生党本部を覗いたのは、さらに一日たった二〇日の午後だった。私は、そこで平野を捕まえ、近くのホテルのコーヒーラウンジで状況を聞くと、こう言った。
「社会、公明、民社、社民連、新生は、すでに非自民連立で合意。問題はさきがけ。これは態度がはっきりしない。むしろ自民党と水面下で話をしている節がある。武村さんを筆頭にさきがけは三塚派が多い。三塚は後藤田正晴首班で大連立を狙っている。武村も一枚噛んでいるという情報もあるんですわ」
小沢の知恵袋と言われるだけあって、平野は情報通だ。
「日本新党はどうですか」
「細川さんは非自民連立でOKでしょう。さきがけとの関係をどうするかですな」
開票直後から、新生党や公明党の一部からは、「細川首班もあり得る」という情報が流されていた。私は気になっていることを尋ねた。
「小沢さんは? 細川さんは、日本新党を立ち上げた時も小沢さんに挨拶に来ていたし、以前から親しい関係ですよね。細川さんは表面的には小沢さんの体質がどうだとか言っているけど、元は同じ田中派です。だけど、僕には『羽田さんを必ず総理にする』と言っていたからなあ。今、何やってるんだろう」
そうカマをかけてみたが、平野は、
「小沢先生は『潜る』と言ってましたなあ。そうなると私も全く分かりません」
としか言わなかった。
確かに小沢が一度「潜る」と直接取材は難しい。電話にはまず出てこない。居場所を確認するのも困難で、運よく見つけても「付いてくるな」と怒鳴られるのがオチだ。小沢を取材し始めてかれこれ四年になっていたが、その難易度は変わらない。
周辺の口も極端に重くなる。情報漏れをひどく嫌う小沢は、記者にうっかり秘密を漏らすような人間は遠ざけるからだ。この時、平野も、小沢が細川と接触して首相候補を打診するつもりだったことを私に隠していた。
極秘会談
七月二二日午前、ホテルニューオータニの一室で小沢と細川が密かに会った。二人は選挙前から何度か連絡を取り合っていたが、実際に顔を合わせるのは選挙後、初めてだった。
その場で小沢は、
「我々は非自民の新政権を作れるのなら誰が総理でもいい。羽田さんには固執しない。あなたが適任だと思うがどうか」
といきなり核心をついた。これに対して細川は、
「お引き受けしましょう」
と即答。会談は実質数分で終わったという。(『内訟録』細川護熙著)
武村がどの程度関わっていたのかなど、今も不明な点が残されているが、いずれにしても、細川と小沢の二人だけで話し、二人だけで決断したこの瞬間に政権の命運が決したのだ。