しかし、情報管理を徹底したことで様々な波紋も広がった。マスコミには断片的な情報を元にした憶測記事があふれた。二二日の極秘会談は、徐々に漏れ始めていたが、内容を正確に報じた社はなかった。中には、「細川首班の障害になるのなら離党すると小沢が伝えた」と報じた新聞もあった。
NHK政治部も、細川・小沢会談自体は把握していたが、そこで細川が首班候補を受けたのかという核心部分は取れていなかった。小沢は水面下で自由に活動できたが、その分、記者の側にはフラストレーションが溜まっていった。
極秘会談の後、小沢はまず羽田に経緯を説明し、「新生党が首相を取ると非自民のイメージが薄くなる。細川のほうが国民の期待が高まる」と説得した。次いで、社会党、そして公明、民社のごく限られた首脳に説明していく。
小沢が潜っている間に、細川も連立参加の意思を滲ませながらも「首班候補は羽田がいいのではないか」と言い続けた。この秘密主義は事情を知らない議員たちの間に疑心暗鬼を生むことにもなった。
ともあれ、この小沢と細川の水面下の行動が非自民連立政権樹立の決め手になったことは間違いない。その成果は一週間後に形になって現われた。
わだかまり
七月二九日午前、衆議院三階の常任委員長室前の廊下は、大勢の記者や政党、省庁のスタッフらで埋め尽くされていた。クールビズなどという言葉さえなかった時代である。みな暑苦しいスーツにネクタイ姿だ。
十一時から非自民八党派の代表者会議が開かれることになっていたが、予定より早く新生党代表幹事の小沢が姿を見せた。小沢番の記者だけでなく、記者や役所の連絡要員と思しき若者が取り囲むように付いてくる。小沢は無言で委員長室につながる控室に入った。
人混みをかき分けるように小沢の後から付いてきた平野を見つけた私は、大理石の壁際に平野を連れて行って囁いた。
「これで決まり? 信州と九州のどっちになりますか?」
信州は長野の羽田、九州は熊本の細川だ。
「そうですな。九州の人でしょう。これから小沢さんが、市川(雄一)、米沢(隆)、赤松(広隆)に説明するそうですよ」
控室には市川に続いて米沢が入った。どちらも硬い表情だ。三十分も経たないうちに自分の党に戻っていく。私は米沢に付いた。
「細川さんでOKなんですか」
米沢はこれまで、私に「細川なんかない。羽田でいいじゃないか」と繰り返していた。前日も「細川には反対だ」と明言していた。しかしこの時は、「俺は羽田だが、党内がまとまれば細川でも仕方ない」と変わっていた。
社会党にも公明党にも異論が燻っていたが、徹底した隠密行動で外堀を埋めた小沢の根回しの結果、すでに他に選択肢はなくなっていた。最後まで自民党との連携の可能性を模索していたように見えた武村も、この時点では非自民連立に付く意向を表明している。
しかし完璧主義ともいえる小沢の手法は、盟友たちにも複雑な影を投げかけていた。少なくとも私にはそう思えた。
投票日直前まで総理の座が手に届きそうだった羽田の心境はどうだっただろうか。確かに小沢の理屈はスジが通っている。羽田でまとめればメディアは「自民党を分裂させて権力を奪取した」と書き立てるだろう。政権交代、政治が変わるというイメージを強調するには細川のほうが新鮮だ。
分かってはいるが、ここまで共に苦しい時間を過ごしてきた間柄である。「小沢に利用されているだけだ」という「忠告」にも耳を貸さず、それが日本の政治のためならいいじゃないかと逆に周りを説得してきた羽田である。
社会党も含めて羽田でいいと言ってくれているのに、連立を確実にするために身を引かざるを得ない。羽田の心境は知る由もないが、私も含めて羽田を取材してきた記者たちには、小沢のやり方にわだかまりが残った。