新たな時代
この日の夕方、非自民八党派は永田町のキャピトル東急ホテルで党首会談を開き、細川を首班とする連立政権の樹立を正式に決めた。
これを伝えるNHKニュースは、私たち野党担当の記者が中心となって原稿を書いた。自民党に代わる連立政権を樹立し、日本新党の細川を首相候補とすること、細川が「私としては天命として決意した」と述べたことなど、事実を淡々と記した。
しかし、私は原稿の末尾に「これによって昭和三〇年の社会党の左右統一、保守合同以来三十八年にわたって続いてきたいわゆる五五年体制が終わり、日本の政治は新たな時代に一歩を踏み出すことになりました」と書いた。
NHKニュースとしてはやや情緒的すぎるかなとは思ったが、今年の正月以来、何度も近づいては遠ざかり、手が届いたかと思うと、また跳ね返されてきた五五年体制という厚い壁が、ついに崩れたのだ。公平性や客観性が強く求められるNHKニュースとはいえ取材者の実感を盛り込むことも伝える上では意味があるはずだ。
それでも政治部のデスクに削られるかなと思ったが、デスクは「ちょっと気負いすぎじゃないか……」と苦笑いを浮かべながらも、「しかし、まあいいか」と通してくれた。
立場や担当の違い、社の違いを超えて、ここまで関わってきた多くの政治記者のそれが、共通の思いだった。
熱狂と悪夢
細川は、一九九三年八月六日、四十八回目の広島原爆忌に第七十九代内閣総理大臣に指名された。この時、五十五歳。衆議院初当選で首相の座を射止めた。指名を宣言したのは憲政史上初めての女性の衆議院議長・土井たか子である。
組閣の後は、官邸の中庭に出てシャンパンで乾杯して記念撮影。記者会見には歴代首相で初めて立ったまま臨み、記者の質問に原稿なしで歯切れよく答えた。
何もかもが新鮮だった。報道各社の調査で内閣支持率は軒並み七十%を超えた。空前の熱狂的支持であった。
戦国時代を生き抜いた肥後細川家の十八代当主であり、五摂家筆頭である近衛家の近衛文麿の血を引く細川のDNAだろうか。したたかさとしなやかさの両面を持つ細川の特異なキャラクターが、大きな変化を求める時代の意識と一致したのである。そして、それを計算していたかのように一人でまとめあげた小沢の手腕も「小沢マジック」として人々に強く印象付けられることになった。
それは自民党にとっては悪夢の始まりでもあった。結党以来、初めて野党に転落することになった自民党議員には悲壮感が漂っていた。とりわけ梶山静六ら小渕派の幹部たちは党分裂の引き金を引いた負い目もあって積極的な発言は控えていた。
そうした中でも、政権奪還に向けて静かに闘志を燃やし始めた政治家たちもいた。「政界の狙撃手」と呼ばれることになる野中広務もその一人だ。野中が次の標的として狙いを定めつつあったのは、連立政権のど真ん中、細川首相その人だった。
政界に新風を吹き込み、国民的人気を得た細川にカネにまつわるスキャンダルがあったとなれば、政権に与えるダメージは計り知れない。明らかになりつつあった佐川急便からの借入金など細川の身辺に問題はないのか、野中は密かに調査を始めていた。