強豪校のドロップアウトと不登校生徒が同じ部活に
一般的な全日制の学校と大きく異なったのは、当時はいわゆる“やんちゃ”をした元不良のような生徒がいて、さらには不登校やひきこもりの問題を抱えた生徒、心の疾病を抱えるような生徒が多い点だ。全日制の公立・私立の学校に通えなくなって転入してくる生徒も多数いた。
今より14年前、わせがく野球部の試合を初めて見た日のことは忘れない。
まず目についたのは、茶髪やロン毛で、ユニフォームをだらしなく着た球児たちだ。いかにも運動能力が高そうで、試合では金髪をオールバックにした180センチを超える大型球児が、いきなり特大の本塁打を放って度肝を抜かされたものだ。
一方で、いかにもひ弱そうな細身の球児も含まれていた。相手投手の投げるボールをバットに当てたかと思えば、三塁方向に走り出す生徒がいたりもした。
わせがくのナインは大きく二分された。半数は県内の強豪私立や市立の野球部からドロップアウトしてきた球児で、中には中学時代に県選抜チームに選ばれるような逸材もいた。残りの半数となるひ弱そうな球児はみな、一様に心に何らかの不安を抱えていた。オーバードーズで病院に救急車で運ばれたことのある生徒、練習中に「死にてえ」「死にてえ」と繰り返すADHD(注意欠如・多動症)の生徒……。
本塁打を放つ選手とルールを理解していない選手が同居しているのも他にはないこの野球部の特徴だった。髪型といい、試合中の態度といい、高校野球はこうあるべきというような先入観を覆す、甲子園で繰り広げられる高校野球とは異質な印象の高校野球がそこにはあった。以来、1年にわたって彼らの成長を追った。
彼らにとって最後となる夏の千葉大会の試合は、衝撃的な1日だった。いや、正確にいえば衝撃的だったのは当日の朝だ。
当時の石田尚孝監督や部長らは前の日、県内のホテルに全選手を宿泊させ、翌日に備えた。私も同じホテルに宿泊して彼らと同じバスに乗って球場に向かうつもりだった。
ところが、朝になって集合の時間がきても、3人の生徒が現れない。そのうちの2人はホテルのフロントからの電話によって目を覚まし、眠い目をこすりながらロビーに現れた。それでも、もう1人が姿を見せない。その生徒は2年生の「イトウ君(仮名)」だった。