長嶋・王のライバル意識
三冠王に手が届かなかったひとりに長嶋茂雄(巨人)もいる。プロデビューした1958年は本塁打と打点のタイトルを獲ったが、打率が田宮謙次郎(阪神)に.015足りずに2位。1961年には打率と本塁打で1位だったが、打点が桑田武(大洋)に8点足りずに三冠王を逃している。1963年にも打率と打点でトップになりながら、本塁打だけは王貞治に3本足りなかった。その翌年(1964年)、今度は王が三冠王を狙う立場になった。
同年、王は最終的に本塁打を55本打ち、打点も2位を20点以上引き離した。のちにONとチームメイトとなった400勝投手の金田正一は、生前にこんな話をしていた。
「王は本塁打と打点で断トツの1位だったが、打率だけは江藤(慎一=中日)と激しく争っていた。その江藤から直接聞いた話だが、シーズン終盤の名古屋遠征の時に長嶋が江藤を食事に誘い、王の三冠王阻止を激励したそうだ。江藤は奮起して首位打者に輝いた。長嶋は王より早く三冠王を獲りたかったんだろうな。チーム内にそんなライバル心があったからこそV9が達成できたんじゃないかな」
多くのドラマを生んできた三冠王。22歳の村上宗隆が達成した記録がいかに偉業だったかわかる。