史上最年少の三冠王に輝いたヤクルトの村上宗隆(22)。102年のプロ野球の歴史のなかで、三冠王を達成したのはたった7人(11回)しかいなかった。直近では2004年の松中信彦(当時・ダイエー)で、セ・リーグでは1986年のバース(阪神)以来となる。当然ながら本塁打、打率、打点の3つのタイトルを獲るのは至難の業であり、惜しくも届かなかった「二冠王」たちにも壮絶なドラマがあった。
1950年に2リーグ制になって以降の72年間で、パ・リーグでは二冠王以上が42回(うち三冠王が6回)、セ・リーグでは二冠以上が49回(うち三冠王4回)もある。2年に1回以上のペースで二冠王は誕生していることになる。今年もパ・リーグでは西武の山川穂高が本塁打と打点の二冠王になったが、打率は13位だった。
三冠王に何度も肉薄したのが怪童・中西太だ。西鉄に入団1年目の1952年に12本塁打、65打点、打率.281で新人王に輝き、翌1953年は2年目のジンクスどころか20歳で36本塁打、86打点の二冠を獲得。打率が岡本伊三美(南海、打率.318)に4厘届かず、三冠王を逃している。
中西は2年目から4年連続(1953~56年)で本塁打王となり、1955年には首位打者(.332)にもなったが、打点(98点)が山内和弘(毎日)に1点届かなかった。翌1956年には打点(95点)のタイトルを獲得したものの、今度は打率(.3246)でチームメイトの豊田泰光(.3251)に阻まれて三冠王を手にすることができなかった。1958年も首位打者(.314)と本塁打王(23本)と二冠を獲得したものの、打点で葛城隆雄(大毎=85点)に1点後れを取った。
長いシーズンを通して好調を維持したうえでライバルとの熾烈な競争があり、三冠王への道は平たんではないのだ。その7年後の1965年に野村克也(南海)が戦後初の三冠王に輝いている。