♦「引きこもり」という問題から生まれた心境の変化
日本と北朝鮮の生活は全く異なる。日本に住む大半の人たちは衣食住に不自由することがない。YouTubeやオンラインゲームなど娯楽もあふれている。ただ、万人が幸せかというとそうではない。キムさんのYouTubeを見た視聴者から「死のうと思っていたけど、生きる勇気をもらいました」「生きるのが辛いです。キムさんはどう乗り越えましたか?」などのメッセージが来るという。
「日本で生きることに疲れている人がこんなにいるんだと感じました」と語った後に、言葉を選びながら続けた。
「日本に来て『引きこもり』という問題を聞いた時に、『なんでそんなことが起きるんだろうか』と思いました。でも日本で何年も住んでいると、悩みを打ち明けられない人が多いように感じて。和を重んじすぎて、個人を忘れて社会の調和を重視しすぎているのかなと思います。友人や家族に話せないまま、自分の中で抱えこんでしまったり……」
北朝鮮の情報を発信していたキムさんの心境に、変化が芽生えるようになった。
「自分の経験を話すことで、生きづらさを感じている人に少しでも希望を与えたい。日本は素晴らしい国で、素晴らしい国民性だと思いますが、この社会で大変な思いをしている人たちもいる。せっかく生まれて与えられた命、この世に生まれてよかったと思える人生にしてほしい。僕ができる限りで、少しでも皆さんに役立つ活動をしたいです」
キムさんは日本語が堪能だ。ネットでニュースを毎日見聞きして、分からない単語があったら調べていたという。また、会話を交わすことで上達すると考えて日本人との交流会に積極的に参加し、接客業のアルバイトもした。「日本語はそんなに上手ではないです。人と話す時に冗談を言うのも苦手ですし」と苦笑いを浮かべるが、紡ぐ言葉には人を惹きつける温かさ、包容力がある。
今回の取材で、北朝鮮で過ごした凄惨な体験を語ってくれた。ただ、辛い思い出だけではない。楽しい思い出を聞いたところ、少し表情が柔らかくなった。
「子供の頃に、祝日や祖父母の誕生日になると、家族や親戚でみんな集まってワイワイするんです。狭い家なんですけど、家族が一緒に集まって料理を作って楽しかった。あとは同世代の子供たちと川に行って水遊びをしたり、カードゲームをしたり。トランプで負けたら水を飲む罰ゲームとかありました。7~8歳の時ですね」
世界中で1人でも多くの人達が、幸せな生活を送る。その願いが簡単なようで難しいことを痛感させられる。10年後、20年後、100年後……キムさんが望む「世界中の人達がお互いを尊重する世界」は訪れるだろうか。
♦取材・文/平尾 類(フリーライター)