息子が通った原小学校と黒石中学校は、いずれも藤田の母校でもある。黒石中学には、藤田が在校時、全国大会に出場した時の写真が現在も飾られているという。
「入学した時、息子と『この写真の隣にお前らの写真も飾ろう』という目標を立てたんです」
昨年夏、15歳になる息子は県で準優勝し、中国大会にも出場した。誓いを立てた全国大会の出場こそ実現しなくとも、息子が自分と同じ道を進んでくれていることに藤田は大きな喜びを感じていた。
「高校でも野球を続けることを考えると、大事なのは中学の野球を引退したあと、高校に入学するまでの時期の過ごし方だと思っていました。黒石中学には高校でも野球を続けたいという子が多かった。そこで黒石中学や、近隣の中学生で志の高い子を集めて、外部コーチやいろいろな人の助けを借りてチームを作った。ただ合同練習をするだけだとモチベーションも上がらないので、大学の同級生が関係していた広島県の選抜チームとの試合をお願いしたんです。すると、強豪私立に進学するような広島の中学生を相手に、9回まで0対0と競った試合をした。最後はスリーランを打たれて負けたんですけど、子供たちの意識が目に見えて変わりました」
山口県内の私学から声がかかっていた息子の進路は、息子に判断を委ねていた。そして、息子が進学した高校は――父と同じ公立の宇部商だった。
春夏あわせて19回の甲子園出場を誇る宇部商も、春は2007年、夏は2005年を最後に甲子園から遠ざかっている。名門復活の起爆剤に息子がなることを藤田は願っている。
◆取材・文/柳川悠二(ノンフィクションライター)