美智子さま(8月、長野県軽井沢町。写真/JMPA)

美智子さまと雅子さまが離された(写真は8月、長野県軽井沢町。写真/JMPA)

流産、失語症、適応障害

 1993年、雅子さまは皇室に入られた。ハーバード大学、東京大学を経て外務省に入省したキャリア官僚という華々しい経歴は注目を集め、皇室に新たな風を吹き込む存在として大きな期待が寄せられた。

「国際親善は皇室の重要な柱のひとつです。雅子さまは、ご自身の経験を最大限に生かしたいとお考えだったでしょう。むろん、美智子さまも、皇太子妃として雅子さまがお力を遺憾なく発揮されることを望まれていたに違いありません」(前出・皇室記者)

 しかし、雅子さまは程なくして、お世継ぎ出産のプレッシャーにさらされる。1999年には、予期せぬ形でご懐妊の兆候が報道され、精神的な負担がかかった結果、妊娠約7週目で稽留(けいりゅう)流産を経験されるといったこともあった。

「雅子さまの悲しみを最も理解されていたのは、ほかでもない美智子さまでしょう。

 美智子さまも1963年に第2子の流産を経験されています。当時、美智子さまは皇室内で孤立した状態だったそうで、当時の宮内庁長官は流産の原因を“精神的な疲労”ではないかと明かしました。

 お世継ぎ問題において皇太子妃にかかる尋常ではない重圧と、流産の苦しみを理解できるのはこのおふたりよりほかにいらっしゃいません」(皇室関係者)

 2001年に愛子さまが誕生された後の2004年、雅子さまは「適応障害」の診断を受けて長い療養生活に入られることになる。陛下が「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」とご発言されたことからも、精神面において過度な負荷がかかっていたことは想像に難くない。

「美智子さまも、1993年10月に御所の応接室で倒れられ、その後、いわゆる心因性の失声症になられた経験があります。民間出身だからこその精神的な負担を、美智子さまはご自身でも経験されている。だからこそ、雅子さまの心身を強く案じられたのでしょう」(前出・宮内庁関係者)

 民間出身で「皇太子妃」と「皇后」を経験されたのは、皇室の長い歴史のなかで、美智子さまと雅子さま、たったおふたりだけである。紆余曲折ありながらも、両者はお互いを慮られてきた。

 しかし、双方の深慮の結果、当時の天皇家と東宮家は期せずして“断絶状態”だと捉えられることもあった。

「当時は、皇太子妃の雅子さまより、皇后の美智子さまのご身位が上ですから、雅子さま側が美智子さまへご挨拶などに行かれるものでした。

 ところが、体調を崩されたことにより公務ができない状況で、申し訳なさを感じられたからか、雅子さまが私的に皇居を訪れる機会は多くありませんでした。美智子さまももちろん、雅子さまを気遣い無理強いはされませんでした」(前出・宮内庁関係者)

 頻繁にお会いすることはなくとも美智子さまは雅子さまのことを常に気にかけられた。

「美智子さまは、雅子さまの意思の強さや責任感の強さを理解されており、たびたび会見やお誕生日に際して公表される文書で雅子さまに“エール”を送られていました。また、時にはご身位にかかわらず、自ら東宮御所へ足を運ばれることもあったようです」(前出・皇室記者)

 いずれは公務に復帰して、皇后として晴れやかに活躍してほしい──そんな美智子さまのお気持ちに応えるかのように、雅子さまは徐々に、しかし確実に、復調の道を辿られてきた。

 2019年、御代がわりに関連する儀式を無事に全うされ、美智子さまは「上皇后」、雅子さまは「皇后」となられた。祝賀パレードで、雅子さまは何度も目に涙を浮かべられた。

「歓迎ムードのなかで雅子さまは、国民から受け入れられたと感じて感極まられたのかもしれません。同時に、皇后となるまで、見守り支え続けてくださった美智子さまに対しても、感謝の思いが湧き起こったことでしょう。

 一方、美智子さまも、雅子さまの病状が無事に儀式と行事を遂行するまでに快復されて、肩の荷が下りたのではないでしょうか」(前出・宮内庁関係者)

“平成流”を蔑ろにできない

 生前退位は、皇室の歴史上で前例のない出来事であり、当初は少なからず混乱もあった。

「毎年発行される皇室カレンダーで、両陛下より先に上皇ご夫妻が掲載されていたり、天皇ご一家に先立って上皇ご夫妻がご静養に行かれたりと、“順番”をめぐって物議を醸すことがありました」(前出・皇室記者)

 とはいえ、美智子さまは「次代に委ねる」というスタンスであられるという。

「平成の頃、天皇家にお仕えした侍従職のうち、ほとんどのメンバーは上皇職に繰り上がりました。新天皇皇后の周りに平成の皇室を支えたメンバーを残さなかったのは、“自分たちに忖度することなく、令和流の皇室を作り上げてほしい”というご配慮もあったでしょう。

 当初は批判されることもありましたが、美智子さまは“平成流”を貫いて確立されましたから、雅子さまにも期待されているのかもしれませんね」(前出・皇室関係者)

関連記事

トピックス

歌舞伎俳優の中村芝翫と嫁の三田寛子(右写真/産経新聞社)
《中村芝翫が約900日ぶりに自宅に戻る》三田寛子、“夫の愛人”とのバトルに勝利 芝翫は“未練たらたら”でも松竹の激怒が決定打に
女性セブン
胴回りにコルセットを巻いて病院に到着した豊川悦司(2024年11月中旬)
《鎮痛剤も効かないほど…》豊川悦司、腰痛悪化で極秘手術 現在は家族のもとでリハビリ生活「愛娘との時間を充実させたい」父親としての思いも
女性セブン
ストリップ界において老舗
【天満ストリップ摘発】「踊り子のことを大事にしてくれた」劇場で踊っていたストリッパーが語る評判 常連客は「大阪万博前のイジメじゃないか」
NEWSポストセブン
紅白初出場のNumber_i
Number_iが紅白出場「去年は見る側だったので」記者会見で見せた笑顔 “経験者”として現場を盛り上げる
女性セブン
弔問を終え、三笠宮邸をあとにされる美智子さま(2024年11月)
《上皇さまと約束の地へ》美智子さま、寝たきり危機から奇跡の再起 胸中にあるのは38年前に成し遂げられなかった「韓国訪問」へのお気持ちか
女性セブン
野外で下着や胸を露出させる動画を投稿している女性(Xより)
《おっpいを出しちゃう女子大生現る》女性インフルエンサーの相次ぐ下着などの露出投稿、意外と難しい“公然わいせつ”の落とし穴
NEWSポストセブン
田村瑠奈被告。父・修被告が洗面所で目の当たりにしたものとは
《東リベを何度も見て大泣き》田村瑠奈被告が「一番好きだったアニメキャラ」を父・田村修被告がいきなり説明、その意図は【ススキノ事件公判】
NEWSポストセブン
結婚を発表した高畑充希 と岡田将生
岡田将生&高畑充希の“猛烈スピード婚”の裏側 松坂桃李&戸田恵梨香を見て結婚願望が強くなった岡田「相手は仕事を理解してくれる同業者がいい」
女性セブン
電撃退団が大きな話題を呼んだ畠山氏。再びSNSで大きな話題に(時事通信社)
《大量の本人グッズをメルカリ出品疑惑》ヤクルト電撃退団の畠山和洋氏に「真相」を直撃「出てますよね、僕じゃないです」なかには中村悠平や内川聖一のサイン入りバットも…
NEWSポストセブン
注目集まる愛子さま着用のブローチ(時事通信フォト)
《愛子さま着用のブローチが完売》ミキモトのジュエリーに宿る「上皇后さまから受け継いだ伝統」
週刊ポスト
イギリス人女性はめげずにキャンペーンを続けている(SNSより)
《100人以上の大学生と寝た》「タダで行為できます」過激投稿のイギリス人女性(25)、今度はフィジーに入国するも強制送還へ 同国・副首相が声明を出す事態に発展
NEWSポストセブン
連日大盛況の九州場所。土俵周りで花を添える観客にも注目が(写真・JMPA)
九州場所「溜席の着物美人」とともに15日間皆勤の「ワンピース女性」 本人が明かす力士の浴衣地で洋服をつくる理由「同じものは一場所で二度着ることはない」
NEWSポストセブン