視聴者を安心させない、味方にしない
『山田孝之の東京都北区赤羽』では当初、山田の赤羽での生活を見守る山下は山田の言動に翻弄されながらも、ある種ツッコミ役として振る舞っていたが、中盤以降、山田の思想に感化されたようになり、山下自身もボケとなりいわばWボケのような状態になっていく。なぜかトレードマークであるヒゲまで剃った。
「俺は物語がどうこうというのはほとんど考えずに、自分のキャラクターをどうやったらいいか、自分の立ち位置はなんだろうみたいなことしか考えてなかったですね。自分がどう動くかというのは山田くんがコントロールしていた感じ。『山下さんやりすぎですよ』って言われたら直していく。そういうリアリティラインは山田くんが決めていった感じがありました。山田くん自身も僕や松江くんがなにか言ったわけではなく、自分のキャラクターをほぼセルフプロデュースしていましたね」(山下)
「バラエティ番組で嘘の設定で進んでいくコント的な展開があったときに、顔を背けて笑いを我慢する仕草ってあるじゃないですか。僕はそういう演出をやりたくなかったんです。
シュールって、いわゆる“自分の味方が誰もいない状況”だと僕は思うんですけど、画面の中に共感できてしまう味方が出た時点で視聴者はちょっと安心しちゃう。バラエティにおいてはそれも面白いんですけど、フェイクドキュメンタリーにおいてはそれをやらないという美学がありましたね。
山下さんも序盤は山田孝之にツッコんでいるんですけど、それは戸惑いのツッコミですよね。話数を重ねるにつれて山下さんも感化されてツッコミ不在になっていく。今、テレビってツッコミ不在なんてあり得ないじゃないですか。だから、ツッコミがないということが、最大のアヴァンギャルドで、今のテレビにはない形になる。まあ、それは後付けですけどね(笑)。『赤羽』の試写を見て気づきました」(竹村)
局内でおこなわれた第1話の試写では、ものすごい空気になったという。何しろ、笑っていたのは、山田、竹村、山下、松江の4人だけ。他の人たちはわけがわからずポカンとして、遂には「これで大丈夫なのか?」と騒然となった。
「最初誰にも理解されていなかったのを覚えてますね。でも僕ら4人だけはすごく手応えがあって。やっぱり新しいことをやるときってすぐに理解されないし、絶対に反対者がいる。だから逆に『これはいける!』って言い合いましたね」(竹村)
果たして、『山田孝之の東京都北区赤羽』は「一体何を見せられているんだ?」と視聴者を困惑させながらも釘付けにし、テレビドラマ史に強烈なインパクトを残したのだ。
(第2回に続く)
【プロフィール】
竹村武司(たけむら・たけし)/放送作家。1978年生まれ。広告代理店での勤務を経て放送作家に。『山田孝之の東京都北区赤羽』『山田孝之のカンヌ映画祭』『緊急生放送!山田孝之の元気を送るテレビ』(テレビ東京)、『植物に学ぶ生存戦略 話す人・山田孝之』(Eテレ)などの山田孝之出演作品や『タモリ倶楽部』(テレビ朝日)、『秀吉のスマホ』(NHK)などジャンルを問わず幅広く手がける。
山下敦弘(やました・のぶひろ)/映画監督。1976年生まれ。『リンダ リンダ リンダ』で商業映画デビュー。『天然コケッコー』『マイ・バック・ページ』『味園ユニバース』『ハード・コア』など次々と話題作を手がける。最新作の『カラオケ行こ!』が公開中。
◆取材・文 てれびのスキマ/1978年生まれ。ライター。戸部田誠の名義での著書に『1989年のテレビっ子』(双葉社)、『タモリ学』(イーストプレス)、『芸能界誕生』(新潮新書)、『史上最大の木曜日 クイズっ子たちの青春記1980-1989』(双葉社)など。
撮影/槇野翔太