日赤をご訪問の際、愛子さまは熱心に質問された(2023年10月、東京・港区。写真/JMPA)
佳子さまは出ていかれ、愛子さまは残られる
宮内庁のホームページでは、さまざまな情報が発信されている。柱のひとつが「皇室のご活動」と題された欄だ。天皇ご一家、上皇ご夫妻、各宮家の来歴が整理されているほか、天皇皇后両陛下と秋篠宮家については「ご日程」の掲載があり、両陛下と愛子さま、秋篠宮ご夫妻と佳子さま、悠仁さまの公務やお出ましのご活動が記録されている。
宮内庁のホームページが改変されることはめったにないことだが、1月末、「皇室のご活動」内に、新たな欄が追加された。「愛子内親王殿下のご日程」なるページである。
「いままで『天皇皇后両陛下のご活動』内に記載されていた愛子さまのご活動記録は、今後、新設された欄に追加されていくのでしょう。つまり、両陛下からの“独立”です。そうした変更は、宮内庁の一存では行えません。両陛下および愛子さまの許可を得ているとみていい。
学生の間は学業に専念されていた愛子さまでしたが、就職も決まり、いよいよ成年皇族としておひとりでの公務やお出ましを本格化させるという“宣言”ではないかと受け止めました。また、すでに水面下では複数の公務の依頼が舞い込んでおり、愛子さまも前向きにご検討されていたということでしょう」(前出・皇室ジャーナリスト)
ところが、愛子さまが日赤を訪れられた同日の2月1日、宮内庁のホームページに異変が起きた。
「『愛子内親王殿下のご日程』のページそのものが削除されてしまったのです。就職発表後、祝福ムードに包まれ、愛子さまが初めて日赤を訪問されるまさにその日に、なぜご活動を記録するページが消されてしまったのでしょうか。なんらかのトラブルがあったとしか考えられません」(別の皇室記者)
宮内庁は昨年4月1日付で「広報室」を新設した。タイムリーな情報発信を標榜するこの部署は、ホームページの運営も担当する。
「“タイムリー”にとらわれるあまり、新設ページを公開するタイミングが早すぎたという判断があったのかもしれません。愛子さまが本格的に皇族としてのご活動を始められるのは、正式に日赤の職員になられる4月1日以降とみられています。向こう2か月、愛子さまのご活動は実質ないようなものですから、公開時期を遅らせた方がいいという結論に至ったのではないでしょうか」(前出・皇室記者)
佳子さまとの比較が公開を躊躇わせた可能性もある。成年皇族ではあるものの、宮内庁のホームページに「佳子内親王殿下のご日程」という欄が作成されたことはなく、ご活動は一貫して「秋篠宮家のご日程」内に記録されてきた。小室眞子さんの活動も同様だ。
「佳子さまの『ご日程』欄がないのは、いずれ佳子さまが皇室を出ていかれるという布石ではないか。逆に、愛子さまの『ご日程』欄ができたのは、愛子さまが生涯皇族である見込みが出てきたからではという声もあがりました。宮内庁は公開後にそのような意見を受け止め、誤解を招かないように“火消し”をしたのかもしれません」(前出・別の皇室記者)
岸田首相は、皇族数の確保および安定的な皇位継承を喫緊の課題ととらえ、議論に本腰を入れてきた。
「急転直下、『女性皇族が婚姻後も皇族の身分を保持する』という案が真剣に検討されているそうです。現状の皇室典範では女性皇族は結婚したら皇室を離れますが、もしご結婚前にこの案が実現すれば、愛子さまは生涯皇族として過ごされることになる。展開によっては『女性宮家』を設立されたり、『女性天皇』として即位されたりする可能性もあります。
将来を左右する重要な議論が進行しているさなかでの愛子さまの“独立”を示唆するような動きは、波紋を呼びかねないという判断もあったのかもしれません」(前出・皇室記者)
宮内庁に経緯を尋ねると、
「来年度以降に予定されているウェブサイトの改修を見据え、『愛子内親王殿下のご日程』を仮に作成しようとして契約中の業者に依頼したところ、誤って公開ページ上でも表示される設定がなされてしまった。誤って表示されていることを認知した段階で削除した」としたうえで、公開時期に関しては「さまざまな検討、試行をしている段階であり、改修後の在り方は未定」
と回答した。