しかし、中国についてはこの常識は通用しない部分があった。それは中国という「獲物」があまりにも大き過ぎたからである。たとえば、アメリカは南北戦争の影響などもあり中国への進出がかなり遅れた。だからこそ、勝手に中国の「門戸開放宣言」をして「オレも中国分捕りの仲間に入れてくれ」と昔から叫んでいた。日本も日露戦争を開戦するにあたって、アメリカの中国への参入を歓迎するような姿勢を取っていたのは前にも述べたとおりだ。しかし日本はその後、桂・ハリマン協定を一方的に破棄するなどアメリカ側から見れば「不公平な中国からの締め出し」をした。
そこへこの第五号である。これでは日本が中国に大きな領土的野心を抱き、いずれ韓国のように併合するつもりでは無いかと思われても仕方がない。それにいくら「希望」だとは言え、こんなべらぼうな要求を中国が認めるはずは無いし、欧米列強も「日本による中国の独占」になるから認めるはずが無い。
しかも「秘密にしろ」などと言ってもそれを強制する力は日本には無いし、中国が国際世論を味方にするためにこの希望条項を公開するであろうことは、ちょっと外交センスのある国ならわかりそうなものだ。しかも、交渉相手は海千山千の古強者袁世凱なのである。
結局、秘密は守られなかった。袁世凱は「日本はこんな不当な要求をしてきた」と国際世論に訴えた。それまで日本の要求に目くじらを立てなかったアメリカも断固反対を表明し、中国の味方についた。この要求が出されたのは一九一五年(大正4)一月十八日なのだが、結局袁世凱のリークによってアメリカのみならず同盟国のイギリスの強い反発まで招いてしまい、あわてた日本は第五号を削除した。しかし「鬼の居ぬ間に洗濯」はできる。第一次世界大戦はまだ続いているのだ。ヨーロッパにおいて血で血を洗う戦いをしている欧米列強は、ロシアも含めてアジアの問題に派兵する余裕は無い。そこで日本は、第一号から第四号までを最後通牒として中国につきつけた。受諾せねば軍事力で既成事実とする、つまり戦争で決着をつけるということだ。最終期限の五月九日、袁世凱はついに屈服してこれを了承した。
しかし、「ストロングマン」袁世凱は転んでもただでは起きない。この五月九日を「国恥記念日」と定め、日本の不義を国民に訴え団結を固めた。縷々述べてきたように、袁世凱は民主派のリーダー宋教仁を暗殺したり独裁的権力を振りかざしたりしていたから、必ずしも全国民の厚い支持を得ていたわけでは無かった。しかし、この日本の愚行が結果的に袁世凱政権の基盤を強化するという、日本にとってはじつに皮肉な結果を招いた。
それだけでは無い、袁世凱によって創案された「国内に不満分子があるときは、日本を悪者に仕立て上げ国民の団結を固める」という手段は中国人の常套手段となり、現在の中国共産党に至るまで愛用する「魔法の杖」になってしまった。前回述べたとおりである。
もっとも、中国共産党の主張する「日本の悪」はほとんどがデタラメかでっち上げか誇張だが、このとき袁世凱の主張したことはそうでは無く、むしろ日本に非のあることだったから効果は絶大だった。前に青島攻略戦直後の世界のマスコミの論調を紹介したとき、とくに中国では「日本が無条件に膠州湾を返還してくれれば日中関係は決定的によくなるだろう」という見方が有力だったことを覚えておられるだろうか。結果はまったく逆になってしまった。
では、なぜ日本はそんな愚かなマネをしてしまったのか?
その答えは、すでにこの稿の前半に書いた。
(第1410回へ続く)
【プロフィール】
井沢元彦(いざわ・もとひこ)/作家。1954年愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。TBS報道局記者時代の1980年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞、歴史推理小説に独自の世界を拓く。本連載をまとめた『逆説の日本史』シリーズのほか、『天皇になろうとした将軍』『「言霊の国」解体新書』など著書多数。現在は執筆活動以外にも活躍の場を広げ、YouTubeチャンネル「井沢元彦の逆説チャンネル」にて動画コンテンツも無料配信中。
※週刊ポスト2024年3月1日号