東京にある現在の迎賓館の建物は、1909年に東宮御所として建設され、1974年に「外国賓客に対する迎賓施設」、迎賓館になった。2009年に明治以降の文化財としては初めて国宝となった迎賓館赤坂離宮は、その構造材にも日本の歴史を反映したものが残されていた。ライターの小川裕夫氏が、鉄道の歴史も反映している迎賓館赤坂離宮と、鉄道と美術の交わりについてレポートする。
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東京都港区に所在する迎賓館赤坂離宮は、2024月4月11日に開館50周年を迎えた。記念すべき節目を迎え、迎賓館は約1年間にわたって特別事業を実施する。
迎賓館の本館は1909年に東宮御所として誕生。明治期は欧米諸国に追いつき追い越せの気持ちが強く、西洋の宮殿を彷彿とさせる意匠で設計された。迎賓館を設計した片山東熊は、工部大学校(現・東京大学工学部)の一期生としてイギリスから来日したお雇い外国人のジョサイア・コンドルに学んでいる。師匠の影響も迎賓館のデザインには大きく反映されていると言っていいだろう。
戦後、迎賓館は政府に移管。一時期は国会図書館としても使用されたこともある。しかし、1974年以降に迎賓館として甦った。
そんな由緒ある迎賓館は、それまで賓客との接遇に使うことが目的とされた。そのため、一般参観を認めていなかった。それまでは一般人は迎賓館の建物どころか庭園にすら足を踏み入れることすら叶わなかったのだ。
そうした迎賓館の方針は、第2次安倍内閣が発足したことで転換する。迎賓館の歴史的・文化的価値に着目した菅義偉官房長官(当時)は、就任直後から「我が国は観光立国を目指しているのだから、多くの国民が迎賓館に接することができない状況は大きな損失だ」と考え、接遇に支障がない期間において施設を一般公開するように指示。準備が整った2018年から、一般参観を開始した。
迎賓館の構造材はどこから
長い歴史を刻んできた迎賓館の本館は、1909年に誕生したが当然ながら歳月とともに老朽化した。政府は1968年に建築家の村野藤吾に昭和の大改修を担当させている。それと同時に、日本風の接遇をするべく和風別館も新設した。こちらは、建築家の谷口吉郎が設計している。