『娘が巣立つ朝』というと、私達はかの名曲『秋桜』に描かれたような、いかにも感動的で悲喜交々なイイ話を、つい思い浮かべがちだ。が、著者・伊吹有喜氏がこの自身初の新聞連載小説で主題の1つに据えたのは、誰もが口には出しにくいが気になること──すなわち「愛とお金」だったといい、現実はそう甘くはなかった。
「その2つが最もぶつかる場所、それが結婚だと思うんですね。特に私は愛知のお隣の三重県出身だからか、婚礼ってこんなに大変なものなのかと、子供の頃から思っていました」
視点人物は3人。大学の映画サークルの先輩後輩として出会い、28年前に結婚した、ともに50代の〈高梨智子〉と夫〈健一〉、そして就職を機に多摩市内の実家を出て一人暮らしを始めた、26歳の一人娘〈真奈〉だ。その真奈が大学の同級生で、今は旧財閥系企業に勤める〈渡辺優吾〉という青年と挨拶にやってきた正月から、物語は始まる。そう。結婚の許しを請う、アレである。
しかしその婚約は両家の違い過ぎる文化や、肝心の真奈達の間に横たわる溝までも浮き彫りにし、しかも一人娘が嫁ぐということは3-1=2。つまり初老の夫婦が2人だけで取り残されることを意味してもいた。
「私は毎回作品を書く時に、自分流のキャッチコピーとテーマ曲を決めるんですね。それこそ今回のコピーは、『家族崩壊のきっかけは、娘の婚約だった』で、元々壊れていたとは言いませんが、一つ一つは小さな疵や歪みが大事に繋がることって、ありますでしょう?
本書の登場人物はみんな一癖あっても根はイイ人で、お互いのことを思い合ってもいる。でも言葉がほんの少し足りなかったり、すれ違ったりして、今まで見て見ぬふりをしてきたものが娘の婚約で一気に噴出する場合もあると思うんです」
……と、既にイイ話ではなさそうだが、伊吹氏は父と母と娘の心の揺れをリアルに描き分け、一連の騒動の驚くべき顛末と各々の選択を具に追っていく。
「ちなみにテーマ曲はミスチルの『documentary film』と、財津和夫さんの『Wake Up』。前者は彼女との一瞬一瞬をフィルムに撮るような思いで過ごす主人公の心情が、健一と重なったんですよね。マンションの契約更新の関係で結婚前の娘が少しの期間、家に戻ってくる。お父さんとしてはそれが嬉しい半面、すぐに嫁いでしまうことも知っている。その限られた時間を惜しむイメージが、今作の原動力になりました。
あと、財津さんの曲にも嫁ぐ娘に初めてお辞儀をしたという父親視点の歌詞があって、今後は別の家庭を築いていく娘への畏れとかモヤモヤも、盛り込めたらいいなあと思いました」