23年前に中古で購入した自宅に真奈が戻り、久々に3人で暮らす前から、高梨家では何かがおかしかった。役職定年間近な健一は最近体調や機嫌が悪く、智子は夫の部屋に〈ディレクターズチェア〉を買い、わざとおどけて話しかけたりもしたが、不機嫌の原因は結局わからないまま。一方、趣味の延長で始めた着付け講師の仕事で信用を得た智子は、和物専門のリサイクル店で良質な着物や小物を探すのが楽しみになっていた。
また、付属校時代から人気者で性格も顔もいい優吾と、外部入学組で地味な自分を比べ、付属時代の彼を知る元カノ〈麻美〉に引け目を感じてしまう真奈の間にも、経済観念や結婚観に関して徐々に溝が生じる。そもそも優吾の両親が強烈過ぎたのだ。自称〈ハッピィ・リタイヤメント・ファシリテーター〉の父〈カンカンさん〉も、優吾の成長を実名で追った〈オトコノコの福〉シリーズで知られる母〈マルコさん〉も共に実業家兼インフルエンサーで、特に母方は手広く事業を営み、式場も仲人の有無も当人同士では全く決めさせてくれない。
さらに母親のいる三島の施設で音楽ボランティアの〈リコさん〉と知り合い、彼女からギターを譲られたイカ天世代の健一が『トップガン・アンセム』を久々に弾いた時の興奮や彼女との関係の行方など、確かに真奈の婚約以降、どこもかしこも危うい要素ばかりだ。
察してくれって言われても困る
「智子は夫の〈ため息〉がイヤでたまらないんですね。なのに何も言ってくれない健一も、自分を押し殺して機嫌を取る智子も、みんながみんな、一言足りない。昔風に言えば報告、連絡、相談のホウレンソウが全員足りていないんです(笑)。
確かに50代だと体調的に問題もいろいろ出てくるし、健一みたいに夫婦は〈空気みたいな存在〉だと信じて疑わない人も結構いそうな気はする。それでも昔は、お父さん、ハイお茶、いいお式でしたねって大団円を迎えられたんでしょうけど、今はそんな時代じゃないと思うんです。もっと緩やかな家族の繋がり方を模索していいのかもなって。
幸い今は家電が進化して、食べる物もウーバーやコンビニで何とでもなるから、妻は夫を安心して放り出せますし、経済的にある程度自立できれば、昔みたいに離婚か別居かの二択でない形も選択肢に入れられる。その方がお互い楽しく暮らせそうな気がするんです」