命懸けでの取材が実録ヤクザ映画の力に
本職のヤクザは映画好きが多いが、自分が映画で貶められると、実際に血の雨が降る。私は東映実録路線の全盛期、危ない目にも散々遭うた。ヤクザから監禁されることも一度や二度ではなかった。でも、生きるか死ぬかの世界にいる人々を命懸けで取材することが、実録ヤクザ映画の力になったんだと思う。
『沖縄やくざ戦争』(1976年、主演・松方弘樹)も実在する「旭琉会」がモデルやった。沖縄まで取材に行ったはいいが、山口組と旭琉会の抗争の真っ最中やった。表立って取材と言ったら旭琉会を刺激して、何をされるか分からん。こっそり観光客のフリをして現地入りし、抗争の犠牲者が埋められた場所にはハイキングの格好で行った。
沖縄は第二次世界大戦で本土の犠牲になり、焦土と化した。そこで親兄弟を殺された沖縄ヤクザが、二度と本土の奴らに踏みにじられてたまるか、と山口組に徹底抗戦した。ヤクザ映画の裏には日本の歴史、そのなかで虐げられた人々の哀しみが貼りついているんや。
ヤクザに話を聞くのは脚本を作るときだけやない。賭場での手本引きのシーンは本職の人に出演してもろうた。そうしないと賭場の空気と匂いが伝わらないからね。
『博奕打ち 一匹竜』(1967年、主演・鶴田浩二)ではラストに刺青を入れた男がずらっと並ぶんやけど、たまたまホンモノの指名手配犯が混じっていた。映画館でそれを見た警察が東映に怒鳴り込んできて、結局逮捕された。指名手配されとるんやから、出なきゃいいのに、刺青を見せたい一心で出てしまったんや。ヤクザ映画の舞台裏にはそんな悲喜劇が山ほどある。
そうやって本職から集めた「言葉」を、私らは本当に大切にした。東映には“本読み”という伝統があって、仕上がった脚本を社長の岡田茂さんの前で読むんです。ただ読むだけやない。脚本家がすべての役を演じながら読む。男と女の声色を変えてね。そこで岡田さんに面白がってもらわんと企画が通らない。
『鬼龍院花子の生涯』(1982年、主演・仲代達矢)の時は、本読みの最中に岡田さんの表情がどうにも冴えない。明らかに気に入っていない。それを見て私は、その場で面白くするために即興で脚本を変えていった。200字詰め原稿用紙200枚分の50枚はその場で書き変えたんや。生きた言葉を、さらに生きた脚本にしていった。いまのヤクザ映画を見ていると、言葉が死んでいて、啖呵に切れ味がない。