【硬派】政治も国際情勢も徹底的に考え抜いた
『GORO』創刊の1974年は、戦後初のマイナス成長を記録し、三菱重工爆破事件から始まる連続企業爆破など、先行きの見えない緊張感に満ちた年だった。
「私が面白いと思ったのは、どんな時事問題を取り上げても柔軟な姿勢を示していたことです」
たびたび寄稿していたジャーナリストの田原総一朗氏は、同誌の記事に一目置いていたという。
「例えば、戦争反対は基本姿勢。しかし、リベラルの主張する“自衛隊解体”の立場からは距離を置いた。当時のメディアの中で、こうした柔軟な姿勢をとることができたのは『GORO』以外になかなか見当たりません」
一方的な意見は読者への受けはいいが、現実を無視したイデオロギーに陥りやすい。『GORO』が貫いた姿勢を、田原氏は高く評価している。
【連載】気鋭の作家陣による連載企画
連載陣の顔ぶれ、ジャンルも多彩だった。植村直己、竹下景子、清原和博から、劇画マンガを革新的に変えた小池一夫の「ダミー・オスカー」まで、『GORO』の懐の深さを物語る。
1984年1月1日号から29回にわたり『月曜日通信』を連載した武田鉄矢氏もそのひとりだった。
「私に声がかかったのは、ドラマ『3年B組金八先生』(1979年~)などで芝居をやりだした頃でしたから、歌手ではなく俳優として面白い、と注目してくれたんでしょうね」
同誌が光を当てるのは、センターで光り輝く人ではなく、どこか影のある人たちだったと武田氏は分析している。
「連載や特集でローカルニュースを積極的に取り上げたのは、日本全体を明るく照らそうという同誌の裏のテーマがあったからではないでしょうか」