かつて若者の好奇心を刺激し、一斉を風靡した雑誌『GORO』が創刊したのは1974年。今年で創刊50周年となったのを記念し、その時代を振り返ってみよう。
《GOROは74年を“人間元年”と考えたい》──創刊号の巻頭で高らかに謳ったコピーは、高度経済成長に陰りが見え、「シラケ世代」と呼ばれる若者たちの胸を貫いた。国家の利益を追求する時代から、個人の幸福を実現する時代への転換期にあって、価値観の修正を高らかに宣言したのだ。
創刊した高校3年時からの愛読者だったというコラムニストの泉麻人氏が語る。
「『GORO』という英字のタイトルはインパクトがありました。従来の男性向け雑誌より一回り大きいサイズも画期的で、高3の僕は女優や歌手のピンナップを第一の目当てで買っていました。エルザとか三東ルシアとかね。エロをやってもどことなく洗練されていましたね。文化人の麻雀特集からも大いに学びました」
そこには人間としての成長に必要なあらゆる栄養が詰まっていた。
【ライフスタイル】若者の好奇心をくすぐるカルチャー情報を発信
『GORO』はファッションやクルマ、スポーツなど、若者の関心が高いカルチャーを幅広く発信していた。
「こんなものがあるよ、と紹介したというより、時代の求める生き方や考え方を提示していったという方が近いですね」
こう語るのは『GORO』でビートルズや矢野顕子など、注目すべきアーティストを紹介してきた作家・編集者の北山耕平氏。当時の編集者・島本脩二氏(故人)に招かれ、1976年から『GORO』での執筆を始めた。
「島本さん含め5~6人で話し合いながらグループで企画を作っていました。当時、私は山梨県富士吉田市に住んでいたのですが、編集部に行く時にはタクシーでした(笑)」
雑誌に最も勢いのあった時代は、若者たちの変化も早かった。それを如実に感じたという。
「学生運動の熱が冷め、若者は自分探しを始めた。やがて彼らの関心は自分なりの楽しみを見つけることに移っていきました。オンナや旅、そしてロックと、『GORO』は時代の流れに必死に食らいつきながら、新しいライフスタイルを提案していったのです」
創刊号でデヴィ夫人のヌードを掲載、1年後に始まる篠山紀信氏の「激写」シリーズでは山口百恵やアグネス・ラムなど時代を象徴する女性たちが登場。グラビアが話題を呼ぶ一方、女子大生へのあけすけな意識調査などの読み物も男たちの心をくすぐった。
『GORO』の記事やグラビアに若者の妄想力が育てられ、掻き立てられたイマジネーションが、日本を代表する漫画やアニメを生んだとも言われている。