全世界に放送された宋美齢演説
1937年9月11日夜、宋美齢は南京から英語で対米放送を行った。
NBCの短波ラジオで放送された演説は、欧州を中心に全世界へ向けて発信され、米国内ではCBSの放送ネットワークを通じて全米に中継された。さらに翌日、演説の全文が新聞各紙に掲載され、NBC放送を聞き逃した人々に文字として届けられた。
南部訛りの流暢な英語を話す宋美齢の演説は、次のような言葉から始まっている。
〈アメリカのみなさんに、本日、語りかけることは、私には辛いことであります。なぜなれば、私の心のなかには、ある者は殺され、ある者は傷つけられ、多くのアメリカ人やその他の居住者を苦しめた、上海およびその附近に起きた悲劇的なできごとの苦しい思い出が、まだ、なまなましく生きているからであります。〉
(『わが愛する中華民国』蒋宋美齢著、長沼弘毅訳、時事通信社、1970年)
宋美齢はまず、日本の攻撃による被害を受けた米国人と外国人居住者に対して哀悼の意を表し、日本の非道を強く非難した。
さらに、米国が投資して作ったミッション系の病院や学校などの文化施設や機関が大損害を受け、キリスト教会の慈善活動にも支障が出ていることを強調して、米国人の慈悲深い心がないがしろにされているのだと、聴衆の心情に強く訴えかけた。
NBCの短波ラジオで放送されたこの演説の音声記録は、現在でも米国に保管されている。「PAST DAILY : NEWS, HISTORY, MUSIC AND AN ENORMOUS SOUND ARCHIVE.(過去の日々:ニュース、歴史、音楽と大量の音声記録)」という公開資料の中にあり、「1937年9月11日──マダム ジャン カイ・セック(=蒋介石夫人)と対日戦争」というタイトルがついている。
実際に放送された宋美齢の演説を聞いてみると、所要時間は15分間だ。最初に男性アナウンサーが宋美齢について簡単に紹介した後、宋美齢が演説を始めた。低めの声で、少し緊張したような固い口調でゆっくり話し、ときおり男性アナウンサーの合いの手が入っている。実際に宋美齢の肉声を通じて訴えを聞くと、いっそう臨場感が増してくる。
新聞報道のほうは、米国の新聞ジョプリン・グローブ紙(1937年9月11日付)がみつかった。掲載された記事には、「ニューヨーク発 UP」とあるから、米国のUP通信(現UPI通信)からの配信を転載したものだろう。
UP通信は全盛期には全米5000社の地方紙と契約していたとされるので、NBC短波放送が宋美齢の演説を放送するという予告文や演説内容も、おそらく全米各地の多数の地方紙に掲載されたはずである。
かくして、米国国民は耳と目で「マダム・ジャン・カイセック」の悲痛な訴えを知ることになったのである。