日本の内閣情報部の極秘分析
日本では、宋美齢の演説をどう受け止めたのだろうか。
ここに、興味深い資料がある。宋美齢演説の翌月、戦前の内閣情報部が「極秘」とした記録資料──「宋美齢の対米放送──調乙23号 昭和12年10月25日」の中に、次のような解説が付けられている。
〈支那事変に関する国際放送は我が国からも再三行われたが、未だ曽て斯くの如き待遇を受けたことはない。これは支那が「弱者」であり、しかも放送者が蒋介石夫人であり、また米国の大学で教育を受け英語を巧みにするという点で、放送資格百パーセントともいうべき「役者」であったでもあろう。
それのみでなく、翌朝のニューヨークタイムズ紙は全二欄を費やしてNBCの録音による右放送のテキストを掲載した。これもまた新聞としては非常な異例で放送の内容が新聞記事になるのは大統領の演説か、さもなくば非常に特異な場合のみである。然るに、タイムズ紙はこれに対して精神的支援を与え、その結果としてこの放送内容に絶大な信用を付与したのみでなく、この放送を聴き洩らした人々に対しても好個の読み物を提供し、放送の目的を二重に達せしめた。
その意味でこの放送は、現在においておよそ放送のもたらし得る最大の効果を挙げ得たものといい得るであろう。それだけに日本に与えた損害は大きく、これを一転機として米国の対日感情が悪化し、それが政府に反映して来たところへ、南京の爆撃によって更に拍車を加え、形勢がついに一転したと見るべきであろう。〉
(『情報局関係極秘資料』荻野富士夫編、不二出版、2003年9月)
日本政府の分析では、宋美齢が「弱者」中国のファーストレディであり、米国育ちの流暢な英語の使い手だというインパクトの強さとカリスマ性によって、「放送資格百パーセントともいうべき『役者』」と評価されている。また、彼女の演説が破格の扱いを受け、「およそ放送のもたらし得る最大の効果を挙げ得た」「日本に与えた損害は大きく」と分析し、米国ばかりか世界の人々に大きな影響を与えたとみていた。
そして宋美齢の放送がきっかけで、米国国民の対日感情が悪化し、それまで日本に友好的だった米国政府もついに対中支援へと大きく政策を転換したことにより、日本は一転して形勢不利になったと捉えたのである。
潮目は変わった──。
宋美齢の対米放送は、日本の中国侵略を黙認してきた欧米諸国に、一石を投じたのだった。
【プロフィール】
譚璐美(たん・ろみ/璐は王偏に「路」)
作家。東京生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。同大訪問教授などを務めたのち、日中近現代史にまつわるノンフィクション作品を多数発表。米国在住。主な著書に『中国共産党を作った13人』『阿片の中国史』『帝都東京を中国革命で歩く』『中国「国恥地図」の謎を解く』など。最新刊は『宋美齢秘録 「ドラゴン・レディ」蒋介石夫人の栄光と挫折』。