台湾有事への危機感が日に日に高まっている。そもそも「二つの中国」を生む原点となったのは、日本が敗戦した後に中国大陸で繰り広げられた「国共内戦」だった。「戦勝国」に名を連ねた中華民国・国民党は、中国共産党に敗れて台湾に撤退したが、蒋介石総統は最後まで「大陸奪還」に意欲を燃やしていた。そんな強権的な指導者・蒋介石に最も身近で接し、政治的な“同志”でもあったのが、妻の宋美齢だった。
夫婦という関係性以上につながっていた2人にまつわるエピソードをノンフィクション作家の譚璐美氏(璐は王偏に「路」)が解説する(同氏著『宋美齢秘録』より抜粋・再構成)。
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エピソード1:「犬のリードを引っ張って散歩する夫人」
1927(昭和2)年、南京において国民政府を樹立した蒋介石は、国家建設を国民教育の面から進めようとしていた。国家の基盤が脆弱な原因は、政治に無関心で愛国心がなく、礼儀作法も知らない無教養な国民がいるせいだと思っていたからだ。
蒋介石は法に基づく国民教育を実践することを国家政策の大方針に据えて、3つの運動を実施した。そのうちの1つが「新生活運動」だった。
「新生活運動」の当初の目的は、国民のマナー向上と衛生管理、生活環境を改善することで、国民の教養を高めて、立派な国民を育てようというものだった。そして「新生活運動」の牽引役となったのは、ファーストレディである宋美齢だった。
宋美齢の歩き方は、わき目も振らずに足早だった。一方、蒋介石は周囲に挨拶したり会釈したりする機会が多く、いきおい宋美齢の後を追うような格好になった。
その様子を見て、口さがない人々は、宋美齢に渾名をつけて笑った。
「曳狗(イェーゴウ)夫人」──
「曳狗」とは、犬のリードを引っ張って散歩する女性という意味である。
率先して歩く宋美齢が、まるで蒋介石の首にリードをつけて引っ張っているようだと言うのである。まことに辛辣な表現である。