エピソード3:蒋介石の不貞と宋美齢の怒り
「カイロ会談」から半年後の1944(昭和19)年夏、重慶であらぬ噂が立った。蒋介石の元妻だった陳潔如が激戦地の上海から重慶へ避難してきて、蒋介石と逢瀬を楽しんでいるという噂だった。
陳潔如は1927年に蒋介石が宋美齢と結婚する際、米国のコロンビア大学に留学させて、とうに縁を切っていたはずの女性である。だが人の口に戸は立てられない。当時、重慶に駐在していた米国の情報提供者は、米国国務院へ向けて報告した。
〈目下、重慶では蒋氏の家庭が紛糾しているという噂が飛び交っています。蒋氏に情婦がいることはだれでも知っていますし、蒋夫人との間で少なからず緊張した関係にあることが取り沙汰されています。[中略]
夫人は目下、蒋委員長にこの話をするとき、「あの女」とだけ言い、蒋委員長が「あの女」に会いに行く時だけ、入れ歯を入れていくことを恨んでいます。[中略]
しかしながら、多くの見方では、権力を失うことは宋一族にとっても損害が大きく、彼ら(孫文夫人の次姉・宋慶齢を除いて、長姉・宋靄齢の夫である孔祥煕も)は、全力で決裂するのを回避しようと尽力したことで、蒋夫人もようやく矛を収めたとのことです。〉
(『宋美齢伝』林家有、李吉奎著、中華書局、2018年)
これはあくまで噂に関する報告書だが、実際もその通りだったようだ。
宋靄齢と娘夫婦は、医師から病気治療を勧められていた宋美齢を誘って一緒に重慶を離れ、ニューヨークへ移動した。宋美齢はニューヨークで、2年前にも入院したプレスビテリアン病院に1カ月ほど入院した。その後、マンハッタン北部のリバーデールにある孔祥煕の邸宅に移った。邸宅からはハドソン川が眺められた。
中国では、宋美齢はもう祖国に戻ってこないのではないかと、噂になったのだった。
【プロフィール】
譚 璐美氏(たん・ろみ/璐は王偏に「路」)
作家。東京生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。同大訪問教授などを務めたのち、日中近現代史にまつわるノンフィクション作品を多数発表。米国在住。主な著書に『中国共産党を作った13人』『阿片の中国史』『帝都東京を中国革命で歩く』『中国「国恥地図」の謎を解く』など。最新刊は『宋美齢秘録 「ドラゴン・レディ」蒋介石夫人の栄光と挫折』。