2019年、高齢者が運転する乗用車が暴走し2人が死亡、9人が重軽傷を負った事故現場付近に手向けられた花(時事通信フォト)
野老さん宅の近くでは、さらに重大な問題も発生していた。
「近くにも、子どもたちから懇願されて免許を返納した高齢夫婦がいましたが、唯一免許を持っていたおじいさんが返納した直後、おばあさんの容体が悪くなったんです。車で病院へ行こうにも免許がない、タクシーもいない、もちろん救急車を呼ぼうとしますが、過疎地域で高齢者が多いという土地柄、救急車だって”出払っている”とかですぐに来られないんです。おばあさんはその後、近所の方経由でなんとか車を呼んで病院に急行し、無事でした。こういう実情を、高齢者から免許をとり上げろ、と盛んに発信するメディアや、役人は全くわかっていない。でもそれをいうと、老人の味方かと怒られる。声も出せず悩んでいる私のような人は、絶対に少なくないはず」(野老さん)
こうした声は、高齢ドライバーによる事故が相次ぐ中では「高齢者の味方か」とか、またあるいは「若者が高齢者に殺されていいいのか」という過激で極端な意見に封殺されてしまう。高齢ドライバーが若者を殺したり、怪我をさせているのは事実だからだ。しかし、我々だって、そのうち高齢者にはなるし、高齢者人口は、今後もますます増え続ける。その段階になっても、今行われているような「高齢者の封じ込め」とも言える政策について、その時高齢者である我々は納得できるのだろうかと考えると、一抹の不安がよぎる。もちろん、免許を返納したことで、家族に送迎してもらう事ができる環境があれば良いが、核家族化が進んだ日本で、それは非現実的と言うほか無い。
「運転する」という権利をとりあげるのであれば、その代替手段が付与されなければならない。そこをおざなりにして「年寄りは運転するな」の大合唱をやっているようだと、そのしっぺ返しは我々自身に返ってきて、絶望し、苦しむのは将来の我々なのかもしれない。