この記事には、「牧野愛博」という署名がある。記事の末尾にある経歴によると、「朝日新聞外交専門記者、広島大学客員教授。大阪商船三井船舶(現・商船三井)勤務を経て1991年、朝日新聞入社。政治部、全米民主主義基金(NED)客員研究員、ソウル支局長、編集委員などを経て2021年4月より現職(以下略)」とある。そうそうたる経歴をお持ちのようだが、記事全体を読んでみると要するに自衛隊員が「大東亜戦争」という用語を用いたことに批判的であるようだ。長文にわたるので全文を引用するわけにはいかないが、私がそう判断した根拠になる部分を抜粋しよう。
【1】
〈鹿児島県にある知覧特攻平和会館には、この異なった立場の人が訪れ、全く違った理由から同じように感動する。大東亜戦争と呼ぶことを肯定的に受け止める人々は、日本を守るために若い命を散らした人々に感動し、哀悼する。大東亜戦争に否定的な人々は、若い命を散らす結果を生んだ戦争や軍国主義に怒り、同じように哀悼する。〉
【2】
〈大東亜戦争という呼称を使ったことについて、一部では侵略戦争に対する内外の批判を受け止めていないという指摘が出た。逆に大東亜戦争と呼ぶことが、戦没者の慰霊につながると考える人々もいる。〉
【3】
〈現役の陸佐は「国民に自衛隊に対する不信感を持たれるのは良いことではない。私だったら、先の大戦とか、無難な言い方でおさめておく」と語る。元空将は「国民の理解は、戦ううえでの重要な要素になる。命をかける自衛隊員が戦争を望むはずもない。今回の事件で、国民が自衛隊を誤解したとすれば残念なことだ」と語った。〉
いかにも「公平・客観」な記事を装っている。【1】と【2】がいわば「両論併記」になっているのがそうだが、これは「最後に自分の意見にもっとも近いコメントを入れる」ことで読者を特定の方向に誘導しようとする、ずっと昔から続いている朝日新聞の手口(この点に興味のある方は、拙著『虚報の構造 オオカミ少年の系譜 朝日ジャーナリズムに異議あり』〈小学館刊〉をご覧いただきたい)である。
つまり、「大東亜戦争」という言葉は使うべきではない(と自衛隊の幹部も言っている)、というのが記事の「結論」になるわけだ。本当にこういう発言をした「現役の陸佐」や「元空将」が存在したのかという点も気になる(ニュースソースの秘匿権を悪用してありもしないコメントをでっち上げる手口もある。本当に存在するなら名前を書くべきで、欧米のマスコミは基本的にそうしている)が、ここはまあ信頼しておくことにしよう。もっとも重大な問題は、そんなところでは無いからだ。
いわゆる「先の大戦」については、基本的にそれを「大東亜戦争」と呼ぶべきなのである。なぜなら、それが歴史的事実だからだ。本来呼ぶか呼ばないかが議論になる話では無い。と言ってもわからない人も大勢いるようなので、わかりやすく説明しよう。