2009年の民主党への政権交代(時事通信フォト)
聞く耳はある、意見はない
泉氏は北海道石狩市出身。父は市会議員だった。
中学・高校時代は野球部に所属し、立命館大学時代から民主党京都府連の常任幹事を務めるなど政治にも関わっていた。
卒業後は当時の民主党参院議員・福山哲郎氏の秘書になり、2年後の2000年総選挙に25歳で出馬、落選したが、2003年総選挙で初当選(京都3区)。以来、比例復活を含めて連続当選(8回)している。
政治キャリアは長いが、ポスト面では遅咲きだった。民主党政権時代は当選同期の議員が大臣や副大臣を経験する一方で、泉氏は政務3役では一番格下の「内閣府政務官」を務めただけだ。
民主党政権崩壊後、野党が離合集散を繰り返すなかで、旧・国民民主党から旧・立憲民主党との合併に参加。立憲民主党の創設者だった枝野幸男氏が2021年総選挙に敗北して代表を辞任すると、若手の支持を得て代表に就任した。
元民主党代議士の嶋聡氏はこんな印象を持ったという。
「彼は地味なタイプだが、若手に人望があった。政治家は公の席では互いに褒め合うけれども、内々の席では批判ばかり言うものです。とくに同期当選はライバルだからその傾向が強い。
ところが、泉さんのことは同期の議員がみんな『あんないい人はいない』と誉める。悪口を聞いたことがない」
代表選でも、「若い頃に泉さんと一緒にボランティア活動などをしたという地方の議員が全国から応援に来てくれた」(泉選対の元スタッフ)という。