ちなみに、このとき八代海相の補佐を務めたのが鈴木貫太郎次官と秋山真之軍務局長だった。三人は日露戦争をともに戦った同志であり、また「軍神広瀬武夫中佐」もロシア公使館附武官を務めた八代の後輩であった。同期のなかでただひとり大将になった八代はそれなりに優秀な人物ではあるのだが、いくら海軍への信頼を回復するためとは言え、山本・齋藤二人を予備役に編入してしまったのはやり過ぎだったと思う。これで【2】の路線の強力な推進者が海軍からいなくなり、【1】の路線を進める陸軍にとってはきわめてやりやすくなったからだ。
しかし、じつはこの二人、のちに「奇跡のカムバック」をする。山本は再び首相となり、齋藤は初めて首相となった。復活山本内閣は、関東大震災の翌日に誕生した。また第一次齋藤内閣は、五・一五事件で犬養首相が暗殺された直後に発足した。しかし、その第二次山本内閣は虎ノ門事件(摂政宮〈皇太子時代の昭和天皇〉暗殺未遂事件)によって、齋藤内閣は帝人事件という「疑獄事件」によって、崩壊させられてしまった。
ところで、現在放送中のNHK朝の連続テレビ小説『虎に翼』では、日本初の女性裁判官となったヒロイン猪爪寅子の父が、無実の罪で逮捕・起訴されてしまう「共亜事件」が前半のクライマックスだった。この事件は「帝人事件」をモデルにしたようだ。ドラマでも語られていたが、実際の事件もほとんど拷問に近いような悪辣な手段で検察側が罪をでっち上げ、そうであるがゆえに第一審であっけなく起訴された全員が無罪になったという、奇怪な事件だ。
最近の袴田事件にも見られるように、検察庁は簡単に「矛を収めない」組織だ。もちろん戦前はその傾向がさらに強かった。にもかかわらず、この事件では控訴すらしなかったのである。『虎に翼』はあくまでフィクションだが、その中で新聞記者の竹中は主人公に忠告する。「共亜事件が起きたせいで内閣が総辞職したのではなく、内閣を総辞職させたい検察畑出身の貴族院議員・水沼淳三郎あたりが事件を起こしたのだろう」(『NHKドラマ・ガイド 連続テレビ小説 虎に翼 Part1』吉田恵里香著 NHK出版刊)ということだ。もちろん、水沼淳三郎のモデルは「シーメンス事件」当時の検事総長で後に首相となり【1】の路線を強力に推進した平沼騏一郎だろう。
こう考えてくれば、シーメンス事件の後に、いわば妥協の産物で成立した大隈重信内閣も【1】の推進者にとっては打倒すべきだということにもなるし、逆に大隈首相が【2】の路線の後継者として加藤高明を選び犬養毅を選ばなかったのも、犬養だと【3】になってしまうからだとわかる。
歴史はすべてこのようにつながっている。
(「常任理事国・大日本帝国」編・完)
■次回より「大日本帝国の確立IXシベリア出兵と米騒動」編が始まります。
【プロフィール】
井沢元彦(いざわ・もとひこ)/作家。1954年愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。TBS報道局記者時代の1980年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞、歴史推理小説に独自の世界を拓く。本連載をまとめた『逆説の日本史』シリーズのほか、『天皇になろうとした将軍』『「言霊の国」解体新書』など著書多数。現在は執筆活動以外にも活躍の場を広げ、YouTubeチャンネル「井沢元彦の逆説チャンネル」にて動画コンテンツも無料配信中。
※週刊ポスト2024年7月19・26日号