7月初旬、東京・世田谷区にある私鉄の駅から15分ほど歩いた住宅街に佇む、3階建て都営住宅の1階。NEWSポストセブンの記者が取材のためにインターホンを押すと、吉田友貞さん(80)はスリッパを人数分用意して待っていてくれた。
部屋の間取りは3LDK。玄関から見て右手の3畳ほどの狭い部屋には、整理しきれていない洋服や書類が積まれている。リビングに入ると、小さな丸い机と椅子が4脚あり、テレビが見やすい席が吉田さんの定位置のようだ。机の上には、拡大鏡と書類が1束置かれていた。リビングの右手には5畳ほどの和室があり、節子さんの仏壇が鎮座している。そこには節子さんが好きだったという大きな白いユリの花が供えられていた。隣の洋服ダンスの上には、2人の思い出の写真が5枚ほど飾られている。
リビングの左手にも同じく5畳ほどの部屋があり、この部屋が事件の現場になった。現在はほとんどものがないが、当時は吉田さんと節子さんのベッドが2台並んで置かれていた。
2023年10月1日頃、吉田さんは同居していた当時85歳だった妻・節子さんの首を絞めて殺害した。今年6月20日に行われた判決公判で、東京地裁は吉田さんに懲役3年、執行猶予5年の有罪判決を言い渡した。事件の背景に、視力がほぼない上に重度の認知症を患っていた節子さんへの介護疲れが吉田さんにあったとして「自覚のないまま疲労や疲弊感を蓄積させた」と情状酌量の余地があると判断された、異例の判決だった。
果たしてその実情は……。吉田さんは累計5時間にわたり、記者の取材に応じた。【全5回の第3回。第1回から読む】
徘徊行為、錯乱状態…限界に達していた介護疲れ
自宅で取材に応じた吉田さんが節子さんの介護について振り返る。
「俺はいろいろな仕事をしてきたけど、介護なんてしたことなかったからね。例えばね、節子はおしめは嫌がるわけね。だから尿漏れパッドをずっとしてたんですよね、下着に貼るタイプです。それも本人は意識がはっきりしてると嫌がるんだ。漏れちゃってもいい。大丈夫だよって。大変だったよ、本当に。
水も飲みたがらない。それで放っておくと、脱水症状になっちゃう。痙攣みたいなの起こして、救急車で運ばれたこともあるからね。それはここ2年くらいの話ですよ」