“チータ”の愛称で親しまれる人気歌手・水前寺清子(78)が今年10月でデビュー60周年を迎える。歌手・女優として数々の代表作があるが、幾度も壁に直面していたという。今、初めて明かされるあの名作誕生の裏側とは──。
水前寺清子のデビュー曲『涙を抱いた渡り鳥』が発売されたのは、東京五輪が開催された1964年10月のこと。着物にショートヘアの彼女が溌剌と歌う姿は、新しい時代の始まりを予感させた。
あれから60年、時代は多様に移り変わったが、本人はケロッとしている。
「60年と言われても正直ピンときません。歌うことが大好きで続けてきたらいつの間にか経ってしまったという感覚です。ただ、振り返ってみると周囲に支えてくれる人がたくさんいて私は運が良かったなぁと感じます」
デビューから4年で20枚以上のシングルを発売するなど演歌歌手として人気が定着したが、1968年発売の『三百六十五歩のマーチ』で転機を迎える。今も歌い継がれる国民的歌謡曲だが、実は当時、本人は「終わった」と絶望を感じたという。
「レコーディングスタジオに入るや否や流れていた音楽に、私は思わず『どこの運動会の歌?』とディレクターに質問したくらいです。デビュー以来、ずっと演歌を歌い続けてきたのに“どうしてマーチを?”と困惑し、『もうこれで水前寺清子は終わった』と思いました」
歌うことを拒んだが、ディレクターの猛烈アピールに背中を押された。
「『とにかく一度だけ歌ってみてよ』と言うので歌ってみたら、一発OK。ただ私自身は違和感があり、『もう一度歌わせてください』とお願いしました。『ワン・ツー』と日本語的な発音に直したり、一部分に演歌で慣らした“コブシ”を入れてみたりしたのは、私なりの小さな抵抗でした」
『三百六十五歩のマーチ』お馴染みの名調子は、この2回目の録音によるものだった。それまでの着物姿とは様変わりしたレコードジャケットの写真も話題だった。
「なんとミニスカートを穿いたマーチングバンドのような衣装。もうレコーディングした後だし『なるようになれ!』と思っていました(笑)」