当時の思いとは裏腹に同曲はミリオンセラーを達成。結果的に自身最大のヒット曲となり、感謝しているという。
NHK紅白歌合戦にはデビュー翌年から22年連続で出場。その間に司会も4度務めた。近年は出場機会こそないが、紅白を通して時代の移り変わりを実感するという。
「私は演歌歌手ですから、紅白で演歌枠が縮小されるのは残念ですが、時代にマッチした音楽が流行るのは当然です。今の歌もすごくいい。Adoさんの『うっせぇわ』は好きですよ」
毎週トイレの前で
水前寺が一躍お茶の間の人気者となったのは、女優業の成功も大きい。初の主演ドラマ『ありがとう』(TBS系、1970~1975年)は、相手役の石坂浩二、母役の山岡久乃との共演で人気を博した。
だが、『三百六十五歩のマーチ』同様、最初はオファーを断わっていたという。この時もまた、背中を押したのは熱意ある人物だった。
「当時、歌の仕事が忙しく、とてもドラマなど引き受けられる状況ではありませんでした。そんななか歌番組でテレビ局に行くと、毎週必ず、あるご婦人がトイレの前に立って私を待ち、『チータ、ドラマやらない?』と」
その婦人とは、のちに『渡る世間は鬼ばかり』などTBSを代表するドラマプロデューサーとなる石井ふく子だった。
「1か月ほど経ったある日、今日こそキッパリお断わりしようとトイレに向かうと、『あなたがやらないのなら、このドラマはやめます』と仰る。私はその場で『わかりました、やります!』と、つい言ってしまった」