「思ったことを書いただけ」
スポーツに関わるあらゆる人たちに被害が広がるなか、プロスポーツ選手やアスリートたちが「誹謗中傷」を許さないという強い姿勢に転じたことは、確かに一定の抑止効果をもたらすであろう。しかし、肝心の加害者側が「犯罪行為を行ってしまった」と自覚するまでには、まだかなりの時間がかかるかもしれない。
筆者は、パリ五輪に出場していたとあるアスリートについて「スポーツ選手失格のゴミ」「クズは早く引退しろ」「ほかの選手の夢をつぶすな」などと誹謗中傷していたユーザーの書き込みを保存。投稿から、関西地方の飲食店経営者であることも突き止め、本人に電話取材した。最初は「知らない」と取材拒否の姿勢を見せたが、のちに本人の携帯電話から折り返しがあり、ほとんど錯乱したような状態で「謝罪させてくれ」と懇願し、次のように釈明した。
「いろいろな選手、芸能人について思ったことを書いただけ。言論の自由だと思うが、犯罪になるというのなら消すから、どの投稿かを教えてほしい。自営業のため、誹謗中傷したことが家族や取引先にばれたら、人生が終わる。むしろ、ただ書き込んだだけで、投稿を見た人も数百ユーザーしかいない。なんで私をターゲットにするのか。他にもひどい投稿をしている人はたくさんいるのに」(誹謗中傷を行った男性)
このように、誹謗中傷に及ぶ人の多くは、自分の投稿で相手を傷つけたという認識が薄い。むしろ、自分の行為を「正当化」した上で、それでも犯罪になるなら消す、と居直る傾向が強い。相手に申し訳ないという気持ちよりも、自分が逮捕されたくない、社会的な制裁を受けたくないという思いから、面従背腹でしかないだろうが、形だけ「謝罪」をしようとポーズを見せるのだ。
自分が言われたら、大切な家族や恋人が同じ目に遭ったら──
そんな簡単な想像すらできない人々に、いくら「誹謗中傷はダメだ」と言ったところで、理解できるはずがない。ユーザーたちの治安維持能力に望みを託していたが及ばない現状を鑑みれば、「法的措置」以外に取りうる手段はなくなってしまった。こうなったら粛々と法によって加害の事実を認定させ、それによって反省を促して再発を防止するしかない。だが、法的な手続きを完了したところで、誹謗中傷を受けた側の心理的、肉体的不安が緩和されるわけではないことも、忘れてはならないだろう。