【大平正芳vs福田赳夫(1978年)】
2年前の総裁選で勝利した福田首相は、1978年の総裁選ではその座を幹事長の大平氏に譲る「大福密約」を結んでいたとされる。それに基づけば、福田氏は総理からキングメーカーへとスライドするはずだったが、総裁選出馬の道を選ぶ。そして、まさかの敗北を喫した。
大平氏と手を組んだ角栄氏が「田中軍団」の議員や秘書を総動員して徹底した党員票集めを展開。大平氏が予備選で福田氏に110点差(※この時の予備選は、党員党友の1000票を1点として計算)をつけて1位になった。福田氏は「天の声にもたまには変な声がある」と言い残して決選投票を辞退、退陣した。
当時、予備選の票集めに奮闘した角栄氏の元秘書・朝賀昭氏が証言する。
「あの時は角さんが田中派議員の秘書を集めて、『田中派の議員は子供同然、その秘書は私の孫も同然だ。だからみんな田中角栄秘書の名刺を作って党員回りをしろ』とローラー作戦の指令を出した。田中角栄秘書の名刺を出すと効果は絶大、党員はみんな『わかった。大平に入れる』と言ってくれた。なかにはあんたに任せると投票用紙を封筒ごと渡してくれる人もいた。
電話作戦もやった。我々が電話し、オヤジ(角栄氏)が『代わる』と言って出る。相手はびっくりしますよ。後で聞いたら、実は党員名簿は持ち出し禁止だったのを、派内の竹下登さんが手に入れていたんです」