2021年に亡くなった小説家・瀬戸内寂聴さんも、「恋というのは雷と同じで降ってくるのだから」とまったく同じことを言っています。寂聴さんは若かりし頃、夫の教え子と恋に落ち、お子さんを置いて家を出たことをご存じの方も多いことでしょう。恋多き女性で、作家・小田仁次郎さんや井上光晴さんと不倫関係にあったことも明かしています。寂聴さんの秘書・瀬尾まなほさんによる「寂聴先生、ありがとう」(朝日新聞出版)には、こう書いてあります。
《先生は不倫の何が悪いのかと言う。恋はカミナリと同じ。自分に落ちてしまったら仕方ないじゃない、と。ただ、不倫相手に妻との別れを迫ったりするのはダメだと言う。相手に家族がいることを知ったうえで付き合うのだから、それは図々しいとのこと》
好きになったものはしょうがないのだから、相手をあきらめることはしない。悪いことをしているのだから、世間からは後ろ指を指されるだろうけれど、それは甘んじて受ける。けれど、相手の家族を壊すような直接的な迷惑はかけない。なぜなら、家庭というのは、特に子どもにとって特別な場所だから。これが、寂聴さんが自分に課していた基本ルールではないかと思うのです。実際、寂聴さんは恋はしても、相手の家庭を壊すようなことはしていませんし、自分が家庭を持つこともありませんでした。
寂聴さんはいろいろなテレビ番組で、お子さんとは和解できたものの、お子さんを置いて家を出たことを今でも後悔していると話していましたが、東出さんに、こういうくびきや悔恨はあるのでしょうか。「恋とは落雷みたいなもの」なんだからしょうがないと開き直って、女性と関係を重ねていくのなら、それは自己の正当化、もしくは「やりたい放題」にすぎず、「自分のことしか考えていなかった」というあの頃とそう変わらない、いや、もっとタチが悪いように思えてならないのです。