東京都国立市にある偏差値71の進学校・桐朋高校のグラウンドでは、1年生の球児と、来春に入学してくる桐朋中学校の3年生が田中隆文監督のノックを受けていた。その中で、明らかに体格も野球のセンスも飛び抜けた上級生がショートのポジションに入っていた。投げては153キロ、打っては高校通算45本塁打という二刀流のドラフト注目選手ながら、NPBの全12球団に「メジャー挑戦」を通達した森井翔太郎(17)だった。
「高1の頃からずっと、進路に関してはアメリカの大学か、NPBかのどちらかで考えていました。日本の大学が選択肢になかったのは、メジャーという自分の小さい頃からの夢を実現させるには一番遠回りになるかなと思ったからです。アメリカの大学だと、早ければ21歳の時点で(米国の)ドラフト対象となりますから」
なぜ国内のプロ野球と米国の大学を選択肢から外し、メジャーへの挑戦に絞ったのか──そう問うと、森井は慎重に言葉を選びながら、こう続けた。
「もちろん、NPBにも魅力を感じますし、レベルの高いリーグであると思うんですけど、アメリカで下から這い上がっていきたいという気持ちが強かった。メジャーリーガー予備軍の選手たちと一緒に切磋琢磨し合うというのが自分の幸せだと思いましたし、たとえマイナーからでも挑戦できるチャンスが回って来たんだから、そこは逃したくなかったです」
現在までに田中監督のもとにはアメリカの7球団から問い合わせが届いており、森井本人もマイナー契約の見込みが立っているような口ぶりだった。
12年前となる2012年の秋頃、筆者は花巻東の3年生だった大谷翔平本人や両親への取材を通して、いち早く高校からメジャーに挑戦するという大谷の決断を報じた。そんな大谷をドラフトで強行指名した北海道日本ハムは、NPB経由で米国に渡る方が結果として長くメジャーで活躍できるという「道しるべ」を提示して、18歳だった大谷を翻意させた。
世界トップの野球選手となった現在の大谷の活躍を考えれば、NPBを経由することが決して遠回りではないということは明白だ。
「NPBからメジャーに行った方がいいんじゃないかとは自分も何度も思いました。ただ、(9月上旬に)アメリカに行って、マイナーの試合を見たり、練習環境を見るなかで、自分はここでやっていけるなと思いました」
9月上旬に森井は両親と共に4泊6日の強行スケジュールで渡米し、ルーキーリーグの試合やメジャーの試合を観戦し、大学にも足を運んだ。帰国時には森井の気持ちは固まっていた。