「初めての痛みで死を予期した師匠は、一緒にプレーしていた神奈月さんに『嫁はんに今までありがとう。ごめんって言っておいて』と最後の言葉を託そうとしました。すると神奈月さんは『嫌です。ダメです。そんなこと言わないでください、大丈夫ですよ。死ぬかもしれないみたいなことは考えないでください』と、師匠の言葉を受けとらずに励まし続けたそうです。その甲斐あって、大事に至らずに済みました」
病気で倒れて以降、ヘビースモーカーだった笑瓶さんはタバコを止め、健康に気を使って好きな食べ物も控えていた。しかし、2023年2月21日の朝に自宅で再び倒れた。
「朝起きた師匠は奥さんと『よく寝れたわ』『ほんま? よかったな』などと、何気ない会話を交わしていました。師匠は習慣にしているストレッチのためにリビングに行きましたが、異変を感じた奥様が向かうと倒れていたそうです。『胸が痛い』と訴えて、奥様が急いで救急車を呼んだ時、師匠は『今までごめんな。ありがとう』と直接感謝の言葉を伝えました。その直後に師匠の意識はなくなっていったそうです」
大阪に住んでいた笑助氏は笑瓶さんの妻から連絡を受け、倒れた当日に都内の病院へと向かった。ICUで眠る笑瓶さんの回復を信じて、妻、所属していた太田プロの社長、マネージャー、そして笑助氏らで見守った。
「病院の方から『小康状態なので一旦お帰り下さい。何かありましたら奥様に連絡します』と言われ、夕方頃に病院を後にしました。次の日の朝、病院の先生から奥さんに『症状がよくならないのでECMO(体外式膜型人工肺)を外すので看取りに来てください』と連絡がありました」
連絡を受けた笑助氏も病院に到着。ICUには昨日と同じように眠り続ける笑瓶さんの姿があった。