こういうことが起こるのは人間社会の常だ。これを常識という。この一九一七年(大正6)当時のロシア情勢から見れば、ロシア「内乱」に日本は介入するべきだと誰もが思ったはずなのである。しかし、その介入は大失敗に終わった。だからこそ、当然それに関する史料はできる限り抹殺されたはずである。史料が無いからと言って、そんな事実は無いなどと言っていたら、歴史の真相は絶対につかめないだろう。
しかし「千載一遇の好機」ではあるのだが、日本はただちにロシア領に出兵することにはためらいがあった。先の「対華二十一箇条要求」によって、欧米列強とくにアメリカやイギリスには「日本は中国に領土的野心があるのではないか」と疑われていた。正確に言えば、欧米列強から見て「日本の中国への領土的野心」に見えるものは、実際は「十万の英霊という犠牲を無駄にしてはならない」という「日本教」の信仰に基づく信念であって、欧米列強の「植民地を獲得して徹底的に搾取する」という姿勢とはまるで別のものだ。だが彼らにはそういう宗教が無いから、日本の姿勢が理解できない。
たとえば、イギリスは植民地支配したインドにおいてインド人から徹底的に絞り取る一方、インド人をイギリス軍に採用しても絶対幹部にはしなかった。反乱される可能性があるからだ。しかし日本は韓国を併合した後、彼の地に最大限の投資を行ない鉄道や上下水道などインフラを整備して「朝鮮系日本人」が内地と同じような暮らしができるように最大限の努力をした。
イギリスもインドに鉄道は敷設したが、それは搾取を効率的にするためでインド人の幸福を考えたものでは無かった。だからインド人の教育水準を上げるための学校建設も、一文の得にもならないインド人居住区の上下水道などのインフラ整備もまったくしなかった。一方、日本軍は優秀な人間なら朝鮮系でも採用し、幹部に抜擢した。
併合に強権的な要素がまったく無かったとは言わないが、本来は会社合併と同じようなもので、だからこそ人事にも根本的な不公平は無かったのだ。しかし再度繰り返すが、そういう信念は日本独自のもので、中国人を含めて外国人には理解できなかったし、また日本人もそうした自分たちの「宗教」を外国に理解させる努力をあまりしなかった。
だから欧米列強は、「日本の中国への領土的野心」を疑い続けた。思い出してほしい。日本が喜んで第一次世界大戦に参戦すると申し入れたとき、イギリスはむしろあわてて限定的な参戦にするように釘を刺した。またアメリカは、日本が有利な形で日露戦争を終えられるように協力したにもかかわらず、桂―ハリマン協定で成立した満洲への進出を日本側に一方的に反古にされた。これが後にアメリカに「日本嫌い」の世論を生み、「日本移民の排斥運動」につながり「アメリカの中国支持」となって日本の「致命傷」となるのだが、それゆえにシベリア出兵には当初日本の軍部ですら慎重な姿勢を見せていた。