たしかに戦争は愚かな行為だが、彼らが戦争に踏み切ったのにはやはりそれなりの時代的事情と、それによって培われた時代的心情がある。それこそが「歴史」であり、そこに注目しなければ、後知恵で「あのときこうすればサヨナラホームランを打たれなかった」と解説する野球評論家と同じ(笑)になってしまう。そうでは無く、「なぜホームランを打たれるようなボールを投げたのか」あるいは「投げさせられたのか」が問題なのである。
そのことが一番よくわかる日本史の重要ポイントが、じつはこの「シベリア出兵」から「満洲国建国」に至る歴史の流れなのである。まずは、歴史学者の先生方が「満洲事変」あるいは「満洲国建国」について、どのように説明していたか思い出していただきたい。冒頭に「愚かな行為」であるという決めつけがあったかもしれない。また決めつけていなくても、全体を読めば「ホントに陸軍は愚かだな」あるいは「侵略的だな」という感想を読者に抱かせるような文章になっていることに気がつくだろう。
「自分はこんな愚か者では無い」、そう思うのは思想の自由(笑)だが、まず大前提として日露戦争以降「十万の英霊と二十億の国帑」つまり日露戦争で費やされた犠牲を絶対に無駄にしてはならないという国民的コンセンサス、いや「国民信仰」があったことを忘れてはいけない。これは何度も繰り返したとおり、日本人の根本的信仰である怨霊信仰に基づくもので、いまでも日本人を支配している。
これも何度も述べたように、日本国憲法とくに憲法第九条は欠陥憲法、欠陥条項である。なぜなら、この条項によって日本政府は軍隊を持つことができない(はず)だが、実際には軍隊を持たない限り国民の生命安全は守り切ることができないからだ。しかしそのことを指摘すると、かつては極悪人扱いをされた。いや、いまでもそうかもしれない。
では、日本人がなぜそう思うのかと言えば、「第二次世界大戦の犠牲となった三百万人の死を絶対に無駄にしてはいけない」と考えるからである。それと同じことだということに、この『逆説の日本史』の愛読者はともかく多くの日本人はまだ気がついていない。同じ信仰に基づき、戦前は「中国への侵略などやめよう」などと言えば、「十万の英霊の犠牲を無駄にするのか!」と極悪人扱いされたのだ。
だから決して軍部が独走したのでは無い。山県有朋が夢見たように、「十万の英霊」によって獲得された「満蒙の特殊権益」を守るためにユーラシア大陸の東側に「日本の与国」を作ることは、チャンスがあれば絶対にやるべき国家プロジェクトなのである。だから日本は「シベリア出兵」で「新ロシア帝国の建国」、言葉を換えて言えば「ロマノフ王朝の再興」をめざした。だが、無残な失敗に終わった。