ウソと誤解に満ちた「通説」を正す、作家の井沢元彦氏による週刊ポスト連載『逆説の日本史』。近現代編第十四話「大日本帝国の確立IX」、「シベリア出兵と米騒動 その15」をお届けする(第1438回)。
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シベリア出兵は一九一八年(大正7)から始まったが、ここで話は一気に一九三一年(昭和6)に飛ぶ。次の辞典の記述をご覧いただきたい。項目は、その年の九月十八日に起こった「満洲事変」である。
〈関東軍参謀らは中国から満洲を分離占領することを計画、柳条溝事件をきっかけに軍事行動を起し、不拡大方針をとった政府をクーデターで脅迫して、戦火を満洲全域に拡げた。アメリカは非合法手段によって生じた結果は承認しないというスチムソン=ドクトリンを発して日本の侵略に強硬な態度をとり、日米の対立が尖鋭となった。〉
(『国史大辞典』吉川弘文館刊 「近代」の項目より一部抜粋 項目執筆者藤村道生)
こののち日本は「満洲国建国」「国際連盟脱退」を経て、英米との対立から「日独伊三国同盟」へと進み、最終的に「大東亜戦争(第2次世界大戦)」で約三百万人の犠牲者を出して大破綻する。その破滅への分岐点がこの「満洲事変」であったことは、歴史を研究する人間ならば誰もが同意するだろう。では、問題はなぜ「こんな道」を選択してしまったのか、ということだ。
結果的にこの路線は大失敗だったが、肝心なことはこの路線選択にもっとも責任があった(A級戦犯という言葉は使わない。なぜなら、その断定の過程に問題があるからだ)東條英機にしても陸軍参謀本部にしても、そんな結果は絶対に望んでいなかったからだ。しかも彼らは、陸軍大学卒の超エリートである。もちろん、そうした試験秀才の考え方に致命的な欠陥があったことは何度も指摘したところだが、少なくともバカでは無い。それなのに、なぜ最悪の結果を招いたのか?
前にも述べたが、今川義元は決して愚かな大名では無い。それでも桶狭間で織田信長にやられてしまったのは、たとえば斎藤道三も認めるほど信長は優秀な武将だという情報が、義元のもとに入っていなかったからである。
ところが、歴史学者も含めて後世の人間はすべての情報を神のように把握しているから、そのうえで「愚かな結果」を見ると「自分はそんなバカでは無い」という優越感から歴史を見てしまう。これが、じつは歴史を的確に分析する際のもっとも大きな障害のひとつなのだが、歴史学者も含めて多くの人がそれに気づいていない。そのうえ、もともと左翼的傾向が強い日本の歴史学者は「右翼や軍人は愚かだ」と強調したいので、そこのところを間違える。
もっと平たく言えば、「こいつらは戦争をやりたがるバカで、自分は(そんなバカでは無く)利口で人道的な人間だ」と思い込んでいるので、的確な分析ができなくなる。