「おそらく私の立場としては、これが人生最後の取材になると思います。美穂を支えて下さった多くのファンの方に少しでも彼女の素顔を知ってもらい、思い出として美穂を忘れてほしくないと思い、お話しさせていただきたいと思います。
オスカープロモーションを経て、“スカウトの山中”と呼ばれていた私が初めて美穂を見たのは、彼女が中学1年生のときでした。一目見て、衝撃が走ったのを今でも覚えています」
中山さんは中学1年の春、原宿の竹下通りで友達と買い物をしていた時にスカウトされ、モデルとなった。
「長年スカウトをしてきましたが、肌は焼けていて少し不良少女っぽい雰囲気でしたけど、美穂の目を見た時に『あの目は絶対に生きてくる』と感じました。スカウトの鉄則で、警戒されないために本命ではない子から声を掛けました。2人を事務所に呼んで『よかったらまた、2人でまた事務所に遊びに来なさいね』と、安心感を与えるのです。結果的に友達には遠慮してもらいましたが、美穂は芸能活動に前向きで、その時、すでに複数の事務所から声が掛かっていました」
何度か事務所に来るようになった中山さんと母親の3人で食事をした時に「ママに家を建ててあげたい」と、涙ながらに夢を打ち明けたという。
「その言葉を聞いて、私はこの子の夢を叶えてあげたいと思い、人生を懸けてみようと決心しました。私の母親の旧姓が“中山”だったことが縁で、芸名は本名の『中山美穂』に決めました。しかし、大きな仕事は決まらず、小さなカタログなどの仕事をする日々。オーディションも1年間で20社以上受けて全部落ちましたが、美穂の身長は158cmと、それほど大きくないのに華があってどこにいても目立ちました」