「美穂はツッパリ娘の役でしたが、台本を受け取って2人で読んだら内容が過激すぎて、美穂も躊躇して“マズい”と思いました。急いでディレクターに『内容を変えていただけませんか』とお願いしましたが、『出演したい人はたくさんいるので、辞めていいですよ』と、断られました。小さな事務所でしたし、私は美穂を説得するしかありませんでした。撮影が始まると、大勢のスタッフの前でまだ中学生だった女の子が過激な演技を求められ、現場で泣いたこともあった。『もう辞めたい』『私にはできない』と、言い出すことも。でも、やるしかありませんでした」
なんとかオンエアまでこぎつけた同ドラマの初回放送。一夜にして世界が変わった。それまで街を歩いていた中山さんは、視聴者に顔がバレてしまい、撮影が行われていた緑山スタジオまで電車で通えなくなり、事務所の電話も鳴り止まなかった。
ドラマ終了後の1985年、中山さんは都立北園高校定時制に入学した。
「しかし、1学期で学校を辞めてしまい、『私は芸能界に就職する』と。仕事の空いた時間には、台本を読まないといけないので、2人で漢字の勉強をたくさんしました。美穂もたくさん努力して、病気以外で仕事を休んだとか、すっぽかしたというのは1度もなかったです。根性がある子でした」
後編では、中山美穂さんと人気アイドルらとの恋愛を止めなかった当時事務所社長の思惑、彼女がプライベートで見せていた孤独感の理由、離婚後の息子との本当の関係などを語っている。
(後編に続く)