「これまでは例年、1月15日前後に行われていた『歌会始の儀』が、今年は22日の開催となりました。例年通りの日程だと、歌会始の儀の直後に神戸を訪問されることになり、体調管理が困難になる。どちらも皇后として外すことのできない公務です。神戸訪問の日程を動かすことはできないので、次善の策として歌会始の儀が延期されたのでしょう。
また、感染症にかかってはいけないと、お住まいのなかでもマスクをつけられることがあるそうです。雅子さまにとって神戸は、万全に体調を整え、なんとしてでも行かねばならない場所なのです」(皇室記者)
雅子さまが被災地となった神戸を初めて訪問されたのは1995年2月のこと。翌3月にも神戸、尼崎、宝塚各市での合同慰霊祭に出席され、さらに宝塚市と淡路島の避難所を訪れた。
「すっかり変わり果てた街の様子を目の当たりにし、雅子さまは沈痛な面持ちを浮かべられました。避難所で被災した少女から似顔絵をもらった雅子さまが、後にお礼の手紙を送られたという交流も生まれました」(前出・皇室記者)
翌1996年の追悼式典にも出席された雅子さまだが、その後次第に体調を崩され、出席される公務も限定的になっていく。そんななか、2010年に行われた追悼式典が、雅子さまにとって宿泊を伴う2年ぶりの公務となった。
「ぎりぎりまで調整が重ねられ、雅子さまの出席が発表されたのは、出発の前日でした。式典では、小学生たちの合唱に涙を拭われた場面もありました。犠牲者や遺族へのお気持ちの強さが、ご自身の体調の不安を上回ったのでしょう。今回は皇后になられてから初めて迎える追悼式典ですので、ご出席にかける思いもより強いのではないでしょうか」(前出・皇室記者)