「雅子さまが、移動のバスの車内で、お姿がよく見えるようにと立ち上がって窓の外に手を振られたのです。
バスといえば1995年、美智子さまは菅原市場を離れる際に乗り込んだバスの車内で立ち上がり、窓の外に向けて両手を握りしめ、体のわきで力強く2度おろすしぐさを何度も繰り返されたことがありました。これは手話で『頑張ってください』という意味で、美智子さまが窓越しに送ったエールでした。雅子さまはそのときの一幕を思い出されたのかもしれません。このような振る舞いや国民と目線を合わせた対話は、美智子さまが『平成流』として確立されたものです」(前出・皇室記者)
令和流の被災地訪問はこれからも続いていく。
「たしかにスケジュールにはゆとりがあり、懇談の機会は多くはありません。しかし、ご自身の体調が万全ではないなか、雅子さまが来てくださったというだけで、国民は勇気づけられる。雅子さまもそうした思いを肌で感じられているはずです。日程はこなせずとも、ご自身らしくあればよいと自信を深められているのではないでしょうか。
昨年10月に骨折という大けがを負った美智子さまは、いまだ快復の途上にあります。美智子さまの心を引き継ぎ、なんとしても皇后としての務めを果たしたいという強いお気持ちが、雅子さまの原動力なのでしょう」(前出・皇室記者)
平成から令和へと時代は変わっても、国民を思うお気持ちに変わりはない。
※女性セブン2025年1月30日号