「沖縄ネタ」との向き合い方
ハンサムにそのことを決意させたのは、同年代で初代O−1王者でもあるハンジロウが昨年に挙げた成果だった。
ハンジロウはO-1を制した2年後、2009年に東京に進出。昨年、THE SECONDのベスト8、つまりファイナルラウンドまで進出した。沖縄出身者のコンビが全国ネットのお笑いコンテストで決勝の舞台に立つのは2010年のM-1におけるスリムクラブ以来という快挙でもあった。
ハンジロウのネタ作りを担当するしゅうごパークは、東京に出ることを決めた理由の1つをこう語る。
「沖縄にいたら鼻折られることないなと思ったんで。で、実際、東京出てきてみたら、もう折らんでいいっていうぐらい折られてます」
上京後、彼らはしばらく沖縄ネタは封印していた。しゅうごがその理由を語る。
「ガレッジセールさんをはじめ、沖縄出身の先輩たちがそれをさんざんやっていた。なので、それを追いかけたら負けだと思っていたんです」
しかし、テレビの企画で沖縄方言を使った英語授業のネタをつくったところ大評判となり、2人の代名詞とも言えるネタになった。しゅうごの相方であるたーにーはこう自画自賛する。
「こっちの人にも通用するし、沖縄の人が聴いても笑えるネタができちゃった。沖縄にいたら、このネタはできてないんじゃないかな。沖縄出身者の僕らが東京の人の目線でつくったから、このネタができたんだと思います」
ただし以降、沖縄ネタを量産したわけではない。しゅうごが内情を明かす。
「難しいんですよ。沖縄ネタを作ろうと思えばいくらでも作れるんですけど、安易につくると沖縄芸人にバカにされるんで。それだけは嫌なんです。普段、あいつらあんな言い方してないだろ、とか。言葉のチョイスとか、微妙なラインがあるんです。僕らは東京在住の、沖縄芸人には舐められない沖縄ネタをやる沖縄芸人だという自負があるんですよ。ややこしいですけど」