水原被告が騒動前まで住んでいるとされる高級住宅地「ニューポートビーチ」
語られた「大谷への本音」
北海道苫小牧出身の英政が米カリフォルニア州へ渡ったのは91年。水原がまだ6歳の時だった。
ダイヤモンドバーと呼ばれる、ロス中心部から東に約50キロ離れた都市の住宅地に住み、英政は日本料理店で板前として働いた。幼くしてアメリカ社会に放り込まれた水原は、地元の小中高校に通った。大学にも進んだが、卒業はしなかった。その後は職を転々とし、培った英語力を活かして12年、生まれ故郷の北海道で日本ハムの通訳として職を得た。そこで大谷翔平に出会う。
その縁で英政は、日ハムが16年に米アリゾナ州で行なった春季キャンプの際、選手たちに日本料理を振る舞っている。その約2年後の17年末、水原は大谷とともにエンゼルスへ入団し、メジャーでの二刀流に向けた本格的な二人三脚が始まった。英政は「息子は幸運の持ち主だった」と周囲に伝え、一人息子の活躍を誇らしげに語っていた。
その当時について、英政は言葉少なにこう振り返った。
「俺から見たら、一平は一生懸命やってたから。あれだけ寝ないで仕事してたんだから。奥さんより長い時間、翔平といたことは間違いないよ。一平は真面目だよ」
英政は大谷のことを「翔平」と呼ぶ。息子がかつて“相棒”だった当時の名残だろう。
大谷はエンゼルス入団1年目に新人王に輝き、日本に帰国した時の会見ではこう語っている。
「お世話になったのは、やっぱり一平さん。(中略)私生活も含めて本当にお世話になりました」
水原は米社会でもまれて得た知識や経験を基に、渡米直後から大谷を全面的にバックアップしていた。息子が献身的に働く様子を傍で見守っていたからこそ、英政にはこんな本音も言わせるのだった。
「あんな何もできない奴がさあ。1人でなんか、できるわけないじゃん」
英政の口から飛び出した言葉には、親子が異国の地で生きてきたという矜持が感じられた——第2回記事では、父・英政が怒りをあらわにした「フジテレビの取材」と、息子のスキャンダルに関する“本音”について詳報する。
(第2回につづく)
【プロフィール】
水谷竹秀(みずたに・たけひで):ノンフィクションライター。1975年生まれ。上智大学外国語学部卒。2011年、「日本を捨てた男たち」で第9回開高健ノンフィクション賞を受賞。最新刊は『ルポ 国際ロマンス詐欺』(小学館新書)。10年超のフィリピン滞在歴をもとに「アジアと日本人」について、また事件を含めた現代の世相に関しても幅広く取材。2022年3月下旬から2か月弱、ウクライナに滞在していた。
※週刊ポスト2025年2月28日・3月7日号