『ザ・ワイド』と『旅サラダ』の掛け持ちはハードスケジュールだった
大阪に着くと夜遅い時間帯に打ち合わせをして、翌日の早朝『旅サラダ』の放送に臨み、終わったらまたすぐに東京へ戻る、というスケジュールを続けておりました。ところが、3年ほど経った頃、喉がいがらっぽくなったのです。心配だったのでがんセンターに行って診ていただいたところ、「ひどくはないけれど、片側が腫れ気味になっている」と言われました。
4年目に入った1996年はアトランタ五輪があり、その中継で『旅サラダ』の放送が2週連続で飛びました。それで、私は大阪へ行くことなく自宅で五輪中継を見ていましたら、すごく調子がいいと感じました。これは普段のスケジュールの厳しさが肉体的に響いているのだろう、と。自分ではそれほど負担に感じてはいなかったのですが、やはり健康第一ですから『旅サラダ』は降ろしていただこう、とこちらからお願いいたして降板いたしました。
それから長い年月が流れ、『旅サラダ』は旅ができなかったコロナ禍を乗り越え、現在も30年以上続いていますね。こんなに長く続く番組になるとは想像しておりませんでした。20周年のときには、司会の神田正輝さんが「スタート時のお話を聞かせてください」と声をかけてくださって番組に参加させていただきました。やはり旅を大事にする、という根幹がブレなかったからこそ続いたのだと思います。