初めて犯罪に手を染めたのは中学1年生の時だという
現場側と指示役側をまるめこむことが出来た
〈そしてそれまでの“悪い事をしていたら何をしても良い”というただでさえ誤った倫理観が私の中で崩壊し、次の事件につながりました〉という三件目、広島の事件で永田被告は家人をモンキーレンチで殴打し、意識不明の重体に陥らせる。にもかかわらず〈当時の私は被害者の方に思いを馳せる事なく、逆に自分の行動の抑制が効かなくなって(原文ママ)いました〉と、思いとどまることなく悪の道を邁進してゆく。
〈現時点で3事件について記述しておりますが、個人的に確保した現金等や報酬は全て競艇とヤミ金の返済に使用しました。なお、2件目の事件にて指示役から悪い人だと聞き、それを信じて犯行を行っておりますが実情として事件の被害に遭われた方を悪い人だと断じる要素がない事を記しておきます〉
その後、競艇でカネを失い再びヤミ金から借金した永田被告は、借金返済に加え〈指示役になる〉ための資金準備を目的とし、犯行を続けてゆくことになる。千葉・大網白里では強盗に及ぶも金品を奪えず、そして狛江市の事件では90歳女性が亡くなるという重大な結果をもたらした。だが永田被告はそれでもこのとき、強盗をやめるという選択肢を持ち合わせてはいなかった。
〈当時、お金に対しての執着心が凄く、そのためなら手段を選ばないという私の生涯において1番“頭のネジが外れた”狂った状態でした。そして命を奪ってしまった私は、被害者の方に思いを馳せるのではなく逆に後戻りが出来ないと強く思い、最後の6件目の事件を起こしました。ただ狂っていても命を奪う事は駄目であり、「人として終わった」、「クズ以下だ」と思っておりました。そのため6件目の事件を起こす前に5件目の事件の報道を見ながら考えていました。この考えるとは被害者の方に思いを馳せるのではなくなぜ命を奪ってしまったのかという犯行の内容に対しての脳内反省会にすぎませんでした〉
この“反省会”で〈自分が実行役のリーダーとして現場で指揮をし、現場にいたからだ〉という結論に達した永田被告は6件目、東京・足立区の空き巣において初めて、実行役ではなく〈指示役兼運転手役兼監視役〉となる。〈当時の私には現場側と指示役側をまるめこむ事が出来ましたので、自分の立場を利用し役割を変えて6件目の事件の犯行に着手しました〉が、現場近くで車を停めている際に職務質問され逮捕。指示役になるという目標は潰えた。