学生時代はLAでアイデンティティに悩んでいたという(秋元氏提供)
野球の時は目がギラギラ
水原と秋元は高校時代「帰宅部」だった。ただ、水原宅近くのコートや小学校のグラウンドに集まって、バスケットボールや野球をしてよく遊んだ。なかでも水原の「野球好き」は、秋元の記憶に鮮明に残っているという。
「当時、みんなはバスケ熱が高かったのですが、一平だけは野球でした。硬球を使っていたら、一平は手が痛くて『キャッチャーミットがほしい』と言い出した。後日、一平はちゃっかりそのミットを持っていました」
水原はメジャーリーガーたちの成績にも敏感だった。秋元が続ける。
「選手のスタッツ(個人成績)についてもすごく詳しかった。『ERA(防御率)がすげえよな』とか言ってたんですが、僕はわからなかった」
もう1人、水原の野球熱を身近に感じていた人物がいる。カリフォルニア州で日本料理店「鮨処古都」を経営する松木保雄(76)だ。1991年に渡米した当時、英政と一緒に日本料理店で働き、家族ぐるみの付き合いをしていたため、水原を小さい頃から知っている。水原が大学を中退したのち、2006年頃から店でアルバイトとして雇っていた。
2009年、日本が優勝したWBC決勝戦はドジャースタジアムで水原と一緒に観戦した。
「一平ちゃんと三塁側スタンドの上のほうで観ていました。イチローが決勝打を放った時に2人で大喜び。一平ちゃんは普段、あまり感情を表に出さないんですが、野球の時だけは目がギラギラしていました。飛び上がって手をあげたりね」
水原はドジャースで活躍していた野茂英雄、そしてエンゼルス時代の松井秀喜の試合にも足を運んでいたという。
「自分は野球をやらないけど、携わる仕事がやりたかったんだよ」(同前)