水原一平被告の学生時代(秋元氏提供)
ドジャース・大谷翔平(30)の口座からの不正送金の罪に問われ、禁錮4年9か月、賠償金約1700万ドル(約26億円)の支払いを言い渡された元専属通訳・水原一平被告(40)。
裁判を終えた今も残る「最大の謎」は、大谷がなぜ水原被告を“相棒”に選んだのか、という疑問だ。ノンフィクションライターの水谷竹秀氏が、彼の人生の足跡を追った。(文中敬称略)【前後編の前編】
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「被告は、(大谷から受けた)恩を仇で返した」
現地時間2月6日、米カリフォルニア州サンタアナにある連邦地裁に出廷した連邦検察局のミッチェル検事補は、大谷の怒りを代弁するかのようにこう語り、水原を厳しく糾弾した。
水原は量刑言い渡しの公判前、連邦地裁に書簡を提出。大谷の身の回りの世話も含めて24時間体制で働いていたこと、経済的困窮によるストレスが違法賭博への引き金になったことなどを主張し、減刑を求めた。しかしそれらの言い分は、検察からことごとく「嘘だ」と論破された。
連載第一回記事(《独占スクープ》水原一平被告の父が告白!“大谷翔平への本音”と“息子の素顔”「1人でなんかできるわけないじゃん」)では、水原の父・英政(65)の証言を掲載した。2年連続でシーズンMVPを獲得し、名実ともに世界一のプレーヤーになった大谷は、徹底した自己管理や計画性で知られる。そんな大谷がなぜ、水原とともに海を渡ることになったのか─。大谷を“籠絡”した水原は、一体どんな人物なのか。私は彼の足跡をたどった。
水原の生まれ故郷は、大谷と出会った場所と同じ、北海道だ。祖母はその昔、苫小牧市でスナックのママをしており、祖父はその隣に寿司屋を構えていた。
父・英政はそんな両親のもと、4人兄弟の末っ子として育った。祖父の下で板前の修業を積み、料理人としての職を求めて1991年に渡米する。水原は当時小学1年生で、6歳だった。
その頃の水原について、米連邦地裁に提出された英政の書簡にはこう記されている。
〈一平はまったく英語が話せず、言葉の習得や文化への適応はどれだけ大変だったか。人種差別にも直面しましたが、彼は強く立ち向かっていた〉