東京の暮らしで覚えた違和感がそれを教えてくれた。
たとえば、長嶋茂雄という選手がいかに凄かったかを熱く語るジャイアンツファンだ。名古屋人が長嶋信者に取り囲まれても、共感できるはずはない。まるで、真っ黒で甘ったるい東京の立ち食いうどんを「うまいだろう」って自慢されているようだ。
しかも、騒ぎすぎ。
雑誌を読んでも、テレビを見ても、「ミスター、ミスター、ミスター」。韓流アイドルのKARAまで「ミスター、ミスター、ミスター」。宇野はショートで「ミスったー、ミスったー、ミスったー」。
ミスターの特番など、日曜日に父親が観ていたゴルフ番組くらいつまんない。早射ちマックの真似をして、リモコンで瞬殺だ。
とくにテレビが垂れ流す「ミスター礼賛」には、反論を許さない窮屈さもあって受け入れ難い。ソフト言論統制で、専制主義の入り口だ。そして日本人はこれが大好きだから困ったものだ。
ちなみに、同じ匂いを発していたのが美空ひばり。
「あの『川の流れのように』って歌、最高に感動するよね」っていうヤツは、瞳の奥に「まさか反論しないよね?」って鈍い光を宿している。
もちろん、反論はしません。厳しい姉から服従を学び、サービス精神は身に付けた。無暗に事を荒立てることのデメリットも知っている。「あの『川』って、ハドソン川かなんかをイメージしてるらしいけど大丈夫?」とか、混ぜっ返したりしない。
ドラファンは「非暴力・不服従」
さはさりながらドラファンとしての「アンチ権威の精神」も守らなきゃいけない。だから、ちいさくOK(小泉今日子「渚のはいから人魚」)もしない。折衷案として、目をそらし、曖昧に誤魔化すしかない。
頭に浮かぶのはインド国旗。マハトマ・ガンジーの非暴力・不服従の戦いだ。
こんな攻防もあった。90年代の半ば、中国留学から帰ってきた頃のこと。日本中のどこに行っても喫茶店でかかっていた、classというデュオグループの「夏の日の1993」って曲。感動の共有を押し付けられて返答に困った。しかも女子にまで。
あの歌が好きっていう女子に、「歌詞、ちゃんと読んだ?」って訊きたかった。だって、失礼な歌詞だよ。それまで歯牙にもかけなかった「普通の」女の水着姿を見た瞬間に「オーっ、人違い」って。そう、女性蔑視、ルッキズム。