巨人時代は江川卓とエース争いを繰り広げた西本。中日移籍の1989年、20勝を挙げて最多勝に輝いた(産経新聞社)
西本の巨人戦勝利はただの1勝ではなかった
それにしても西本の物語もまた、なかなかの完成度だった。
移籍初年度に、自身初の20勝を挙げ、ジャイアンツの斎藤雅樹投手と最多勝を分け合っているのだから。しかも古巣相手に5勝も挙げた。
ドラファンは「西本が登板」と聞くだけで、震えた。漫画『魔太郎がくる!!』の名台詞「こ・の・う・ら・み、は・ら・さ・で・お・く・べ・き・か」が聞こえてくる。深い恨みを一緒に背負ったのである。だから西本の1勝は、ただの1勝ではなかった。
ジャイアンツ戦での勝利は、ほぼリーグ優勝1回にも匹敵する大きな喜びだった。ということは、西本は1年で5度も中日を優勝に導いたのだ。比肩すべきものがない貢献だ。
それを覚えているからこそ、小学館が『江川と西本』という何ともシッブい漫画を世に問うたときには、全12巻を大人買いした。
江川に対するライバル心をむき出しにしすぎたためか、それとも生来の性格か、人間関係に難を抱え、ジャイアンツで孤立し、「偏屈」とのレッテルまで貼られた西本が、ドラゴンズではチームに溶け込み、楽しそうだった。ドラゴンズの若手まで「ニシさんが投げるなら」と奮起するという、攻守の好循環まで生まれたそうだ。
もはやバックに夕陽の絵さえ浮かんできそうなエピソードだ。西本がもし、「ドラゴンズに来て初めて野球の楽しさを知った」と発言したとしても、誰も驚かない。
(第4回に続く)
※『人生で残酷なことはドラゴンズに教えられた』より一部抜粋
【プロフィール】
富坂聰(とみさか・さとし)/1964年、愛知県生まれ。拓殖大学海外事情研究所教授、ジャーナリスト。北京大学中文系中退。1994年、『龍の伝人たち』で21世紀国際ノンフィクション大賞・優秀賞を受賞。『中国の地下経済』『中国の論点』『トランプVS習近平』など、中国問題に関する著作多数。物心ついた頃から家族の影響で中日ファンに。還暦を迎え、ドラゴンズに眠る“いじられキャラ”としての潜在的ポテンシャルを伝えるという使命に目覚めた。